2018年10月28日日曜日

中央区 橋から橋まで総めぐり その2(後編)

2018年10月26日(金)
大阪城新橋を渡ってJO-TERRACEに出、ここから大阪城ホールの横を通って次の橋まで歩く。・・・中央区橋から橋まで総めぐり~。

⑫新鴫野橋
この橋は大阪城三の丸の整備が行われたときに架けられ、当時は鴫野橋と呼ばれる公儀橋だった。また城内にあったため一般の人は利用できなかったそうだ。現在の橋は、昭和63(1988)年のもの。
この辺りも外国の観光客が多い。橋の由来碑があるので撮影したかったが、碑の前に外人が一人座って休憩していたので諦めた。



新鴫野橋と大阪城。


橋から見える、OBP。



さて、ここから次の葭屋橋までは遠い。街歩きと言いながらも何らかの交通手段がないか探してみたが、結局歩くのが一番早いようで・・・。

途中、大阪城桃園と言うのがあった。文字通り桃の公園。敷地面積4,400m2、12品種200本を超える桃の木がある。季節がらただの公園にしか見えないが、3月中旬から4月中旬まで桃の花が楽しめるので、来年の桃の季節に来たいものだ。


大阪城の出口に、



ここから葭屋橋まで約25分のウォーキング。歩いていると汗ばむ気候だ。

⑭葭屋橋(よしやばし)
ここからは市内を南北に横切る「東横堀川」沿いを南に向かって歩くことになる。

この辺りは古くから大川の眺望が非常に良く、料理屋や旅館などが建ち並び、また舟の荷積みや荷下しでも賑わい発展したところで、明治8(1875)年「大阪会議」が開催された花外楼という料亭は今も健在している。( 中央区橋から橋まで総めぐりより)
現在の橋は車の往来の激しい、あまり風情もない橋である。


⑮今橋



⑯高麗橋
橋の右と左では書き方が違うのが興味深い。なぜだろう!?
「かうらいはし」と「高麗橋」




ふと川を見るとクルーズ船が止まっている。こんなところに水門があるようだ。



ちょうど水門の開閉に巡り合ったようで、しばらく眺めてみた。船のほうは「大阪ワンダークルーズ」と言って、水都大阪を巡るクルーズ船のようだ。

さて橋のほうは、
⑰平野橋
橋の設計には建築家の武田五一(意匠)が加わったと言うだけに、横から見ると美しい橋である。



⑱大手橋
橋のデザインは独特の雰囲気があって良い。



⑲本町橋
 現役の橋としては大阪市内最古の橋とある。



⑳農人橋
 『摂津名所図会大成』には「この橋はいにしえより農民が 田畑へ往き通うための橋で土橋と同じような形式であった。 寛永・正保の頃(1640年頃)までは船場には田畑や芦原など が多くあって、町家は上町に多かったからである。寛永年間、 大坂の町家は地子銀(じしぎん)が免除になったため、田畑・ 芦原の地にも町家が建てられ、急速に繁栄していく。これに 伴って橋も高欄擬宝珠(ぎぼし)を持った立派な橋になっ た。」とある。



さてさて、本日はここまで。35橋まであと15橋。橋めぐりも半分を過ぎた。
なんとか完走できそうである。

2018年10月27日土曜日

中央区 橋から橋まで総めぐり その2(前篇)

2018年10月26日(金)
前回の続きで橋めぐりに出かけた。大阪市中央区が発行している「中央区 橋から橋まで総めぐり」・・・続きは⑨片町橋から。

話は逸れるが、大阪メトロのマイスタイルを使っている。定期の2区間を登録駅として、その登録駅さえ起点もしくは終点にすれば、定期の範囲で処理してくれるというもの。無制限ではなく、2区なら2区の範囲、3区なら3区の範囲。私の場合、なんばを登録してあるのでかなり広い範囲は定期で行ける。
今回も「なんば」駅(にわざわざ出て)から御堂筋線で「心斎橋」に出て、長堀鶴見緑地線で「大阪ビジネスパーク」駅へ。これも定期の範囲でいけるから有難い。

脱線ついでに、「大阪ビジネスパーク」駅は大阪メトロの中で、最も深い駅のようだ。地上に出るまでに、かなり長いエレベーターを使う。


さて、橋である。
⑨片町橋
現在の橋は、昭和61(1986)年に三径間連続合成鋼床版桁橋に架け換えられた・・・とあるが、橋の種類はよく分からない。




⑩北橋
⑪大阪城京橋プロムナード
北橋も昭和40(1965)年に三径間鋼鈑桁橋として架け換えられたものですって。プロムナードが出来てから行き来も減ったというのは分かる。プロムナードは何度か歩いたことがあるが、朝晩はOBPに通うサラリーマン、OLでラッシュである。


北橋は誰も歩いていなかった。


ここからOBP(大阪ビジネスパーク)を横切るようにまっすくに歩く。緑の多いビジネス街である。以前、仕事では何度か来ている。


⑬大阪城新橋
昭和58(1983)年に開催された、大阪城築城 400年祭に合わせて架けられたもので、これを渡ると「大阪城ホール」や「JO-TERRACE」に出る。。





以前土曜日に来たときは人で混雑していたが、さすがに金曜日とあってそれほどでもない。と言うより、ほとんど人がいない。



定番の記念写真場。大阪城らしいと言えばそれまでだが・・・。


ちょうど、お昼時。大阪城ホールにあるレストランで食事をすることにした。
長くなるので、この後は後編に→→→

2018年10月6日土曜日

中央区 橋から橋まで総めぐり その1

大阪市中央区が発行している「中央区 橋から橋まで総めぐり」という冊子がある。2009年のことなので冊子自体が残っているかは不明であるが、ホームページにも掲載されている。今回はこれを頼りに橋めぐり~。(どうもあちこちのコースを食い散らかしてるような気もするが、自由気ままにやっていきたい。)

橋の数は、35橋。番号を振ってあるのと、各橋の成り立ちや歴史背景、エピソードなども解説されているので大いに参考になる。また区切って回れるので気儘に歩きたい。
今回は、①淀屋橋から、⑦大坂橋まで歩いてみた。

①淀屋橋
地下鉄淀屋橋駅を地上に上がると目の前が淀屋橋。今まで幾度となく渡っているが、改めて「橋」に着目してみると、ここにも歴史があるんだとつくづく思う。川は土佐堀川である。
初代の橋は江戸時代に架けられた橋で、当時を代表する豪商淀屋常安(よどやじょうあん)が、淀屋橋のたもとに開設し た米市場へ向かう人や、中之島辺りの蔵屋敷へ往来する 人のために架けたとされている。(中央区 橋から橋まで総めぐりより引用)



橋の向こうに見えるのは大阪市役所。


淀屋橋から西側を望む。


②の栴檀木橋(せんだんのきばし)に向かう途中に、大阪市役所と府立中之島図書館、大阪市中央公会堂が並んでいる。
大阪にいるとは思えない威容を誇る「中之島図書館」


②の栴檀木橋(せんだんのきばし)も初代は江戸時代に中之島を行き来するために建てられた。



橋から大阪中央公会堂を見た景色。逆光になったのか、腕が悪いのか!?


川と並行に東へ向かうと、大阪証券取引所が見えてくる。ここを北へ向かうと次の橋、③「難波橋」(なにわばし)。同じく土佐堀川にかかっている。
それにしても今日は、空の青さが眩しいくらい空気が澄んでいるようだ。風も少し強めだが、歩くには心地よい。





続いて、中之島バラ園をぶらぶら。このあたり、都会の真ん中にあるオアシスである。



④の橋、「天神橋」が見えてきた。公園からだと上がったところが橋の中央になる。


川の北側(この辺は大川になる)の南天満公園横をさらに東へ向かう。橋ではないが、公園の中に「天満の子守歌」石碑と像があるので立ち寄ってみた。
子守歌と言いながらも、昔地元の市の存在感を示すために作られた歌で、市場の情景を表す歌になっている。詳しくは、NPO法人日本子守歌協会のホームページに開設されているので、そちらを。



⑤の橋は、「天満橋」。江戸時代には公儀橋として役人の通行や役所間の連絡に使われた「官」の性格が強い橋で、「難波橋」「天神橋」と共に浪華3大橋と呼ばれた重要な橋である。天神祭りの花火の絶景ビューポイントになっている。




さらに東へ。⑥寝屋川橋



⑦大坂橋⑧京橋



橋のたもとに、京橋川魚市場跡を示す石碑が立っていた。川魚を専門に扱う市場があったらしい。



この橋から見える景色も素敵でした。


京橋を渡って直進すると、そこは大阪城京橋口。今日はお城には拠らずに地下鉄天満橋駅をゴールとした。


橋めぐり、35橋のうち本日は7橋で終了。大阪は上町台地を除いて総じて土地が低い。橋も何度も流されたりして、今ある橋は大体が新しく付け替えられている。
「浪華の八百八橋」と言われるが、江戸時代の実数は約200橋であったそうな。ただ江戸が幕府が建てた公儀橋が大多数であったのに対し、大阪は町人たちが自腹で作った町橋であった。そこに町人たちの思い、勢いがあった。
今回のウォーキング、思い付きから始めてみたが最後まで「めぐり」たい。不定期なので次回はいつか分からないが・・・。

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