2021年9月27日月曜日

京街道ふたたび・・・(高麗橋から守口まで)③

2021年9月21日(火)晴れ時々曇り

関目神社を後にして、しばらくは石標をめぐるウォーキングとなる。あちこちに点在している。

「京街道」とあるものや、「京かいどう」と表記しているもの、様々な石標があるが、いずれも京橋口からの距離表示になっている。

京橋口は大阪城の北西の出入口にあたる。

京街道自体は奈良時代より存在する古道であるが、豊臣秀吉が淀川左岸に「文禄堤」として街道を整備し、後に京街道と名を変えているので、距離表示も京橋口を起点にしているのであろう。





森小路に近づくとこんな旗(?)がぶら下がっている。
実は、3年前から変わっていない。→ 京街道を歩く①
森小路商店街が京街道とタイアップして、森小路京かいどう商店街と銘打っている。


前回ギブアップした地点、千林商店街までやってきた。前回はこの辺で足裏の痛みでもあったのか?、単に疲れたのか?
そう考えると、ウォーキングを続けてきたおかげか、歩ける距離は伸びているのかもしれない。


商店街の喫茶店の横にある石標。いつも自転車が止めてあるらしく、注意しないと見逃しそうだ。前回の画像はなぜか焦点がぼけていた。今回は、Good!!


歩道にも京街道の石碑が張り付けてある。京街道を盛り上げることで集客につなげたいのだろうね。




石標はこの辺にしよう。

いよいよ守口に近づいた。目印になるNTTを背にして京街道を行く。




文禄堤に到達したようだ。この高低差。
かなり大掛かりな堤であったと伺える。この堤の上が京街道になっている。


ここだけ見れば、何のことはない普通の道にしか見えないが・・・。


案内があった。


本町橋。


本町橋の上からは、京阪電車守口市駅が望める。電車の走行面と同じ高さなのだから、堤の高さがわかろうというもの。


案内板があった。これによると、京都へ向かう時が京街道で、大坂へ向かう時は大阪街道と呼んだとある。確かに一理あるが、大阪街道なんて名称は知らなかった。
東海道57次、57番目の宿場(守口宿)として整備されたとあるので、往時は賑やかであったろう。今は、閑静な住宅が軒を連ねる。




文禄堤薩摩英国館。この時はよくある紅茶専門店くらいに思って通り過ぎたが、薩摩と英国の歴史を紹介していたり、この中には貸しギャラリーもあるようだ。英国で日本人初の金賞を受賞したという自家製の紅茶“夢ふうき”が有名らしい。
下調べをしていたら、入っていたと思うが、堤に気を取られて行き過ぎてしまった。


昔の街道筋の雰囲気が味わえるいい建物も。


最後に文禄堤の説明書き。イラストを交えて昔と現在を表している。


ここで約11km。まだまだ歩けるが、ここで区切りとした。

次は守口から枚方市までの10kmほどのウォーキング。

京街道を楽しみたい。

2021年9月24日金曜日

京街道ふたたび・・・(高麗橋から守口まで)②

2021年9月21日(火)晴れ時々曇り

京街道を京橋に向かって歩いている。

ここ、何の変哲もない道ではあるが、昔は鯰江川という川が流れていた。画像の左側が京阪本線にあたり、少し先に行くと飲食のお店が並んでいる。この通り、お店の裏側にあたるのでひっそりしている。


とりあえず、京橋で昼食タイム!
しばらく京阪モールの中で涼む・・・。

JR京橋駅の横には喫煙場所があるが、他と一緒で閉鎖していた。もう慣れっこになったが、ますます煙草は吸えなくなっている。

紙巻きたばこと電子タバコを、誰かそろそろ区別してくれないものか?
タールの量も10分の1、副流煙もほとんどが蒸気。電子タバコくらいは許してほしいが、・・・。


前の道は国道1号線。JR環状線の鉄橋には京街道の文字が!
京街道、雰囲気が出てきたぞ。


国道1号線を渡ると、新京橋商店街。これも京街道にあたる。


商店街の入り口にあるモニュメント。
吹き出しには渋沢栄一の名言が、
「四十、五十は洟垂れ(はなたれ)小僧
 六十、七十は働き盛り
 九十になって迎えが来たら
 百まで待てと追い返せ」

今、この年になって味わい深く感じる名言です。


久しぶりに賑やかな商店街を歩いている。


商店街の真ん中ほどに、京街道の石碑があった。これと同じものが、先にも出てくる。


商店街を出て振り返ると、リブストリートとある。商店街の名前が途中で変わった?


商店街をでてしばらく歩くと、地蔵尊があった。
榎並地蔵とある。


「歩こう京街道」とあり、高麗橋から守口までのマップになっていた。やはりこの間が一区切りになるのだろうか。距離にして約11kmなので、ほんと程よい距離だわ。


このあたり、大阪市城東区野江というところ。余談になるが、大阪メトロの駅で、野江内代駅というのがある。何と読むか、わかる???

野江内代駅 → → → 「のえうちんだい」が正解です.
なかなか読めるものではない。

地蔵尊を過ぎてしばらく歩くと、比較的新しい京街道の石標があった。


京橋口から3.3kmと彫られている。高麗橋からではない。


関目神社。
由緒によると、豊臣秀吉が大阪城築城の際、北の護りとして武神の須佐之男尊を祀り崇敬すると共に、浪速の鬼門に当るので、鬼門鎮護の神として毘沙門天王を勧請して小祠を建立したことに始まるとある。
関目という名は、この地に見張所(目で見る関所)があったことから起こったそうだ。


3年前に来たときはお参りしていなかったと思う。
最近はウォーキングの際に神社があればお参りするようになった。
今回も。




お参りした後、裏手に回ってみると、明治天皇が立ち寄った記念碑がある。



3年前に歩いたときの記憶はかなり残っているように思う。冬だったので、風景は多少違うが、・・・。

しかし、もう3年たったのか?
年々、時間の過ぎるのが早くなっている。
この分だとあっという間に後期高齢者の仲間入りかも!?

渋沢栄一翁にあやかって、60,70は働き盛りを実践したい。

2021年9月23日木曜日

DIY・・・と言えるかどうか!?(Life Begins at 60)

2021年9月23日(木)

ラティスに続いて、庭(駐車場)の整備。

簡単に言えば、人工芝を敷いただけのことではあるが、・・・。

庭と言ってももともとは駐車場にあたり、家を建てたときに全面舗装では味気ないので、真ん中には天然芝を敷いていた。日当たりの問題で、天然芝は維持が難しく、ブロックを置いたり、最近では小さ目の石をちりばめてお洒落にしたつもりが、石が良くずれる!



小石を一つ一つ取り除いて、凸凹をならして、えい、やーっ!

ということで人工芝を引いてみた。

奥に積んだのが取っ払った石。


うん、悪くない。最初からこれにすれば良かった。



2021年9月22日水曜日

京街道ふたたび・・・(高麗橋から守口まで)①

2021年9月21日(火)晴れ時々曇り
3年前に京街道を歩いている。→ 京街道を歩く①
と言っても、街道を制覇したわけでもなく、大阪府の「歴史街道ウォーキングマップ」をガイドに、本来なら大阪市中央区から守口市のルートを、途中で切り上げて大阪メトロの千林大宮駅から帰宅していた。

それっきりで京街道には行っていない。

今回は大阪から京都の八幡市まで行って、そこから東高野街道に切り替えて南下、河内長野市あたりまで歩いてみたい。途中、我が家の横を通過することになる。

心機一転でもないが、スタートはもう一度大阪市中央区の高麗橋からとした。今回はひとまず守口市まで行ってみる。

大阪メトロの北浜駅から東に向かうが、まずは東横堀川にかかる「今橋」(いまばし)。
これは、現在の橋の下にある旧の欄干。


今橋は豊臣時代には既に存在したらしい。
 江戸時代には、橋の西側に平野屋五兵衛、天王寺屋五兵衛など大物両替商が軒を並べ、大阪の金融の中心地であったと解説されている。

水の都、大阪♪


東横堀川は、ここから南へ流れ、途中西へ向きを変えてから下流は道頓堀川となる。


今橋の次にあるのが高麗橋。
このあたり、以前「中央区橋から橋まで総めぐり」であるいたところ。


高麗橋の東詰めにある里程元標跡。
江戸時代の里程計算の起点となった地点で、ここが京街道・紀州街道など諸国への道のり、車馬賃の基点となったそうだ。
江戸時代はね!・・・このあと出てくる京街道の石標は、なぜか「京橋口」からの距離になっているのが興味深い。


高麗橋の由緒。東横堀川は大阪城築城の際に外堀として改修され、その当時に高麗橋がかけられたらしい。何度か付け替えられて、現在の橋は鉄筋コンクリートアーチ製で、昭和4年にかけられたとある。
このあたり何度か来ている。



少し北に歩くと、土佐堀川に出る。
天神橋。




さらに上流側へ歩くと、渡辺津。熊野への出発点で、熊野街道の始まり。平安時代後期に白川上皇などが京から船でこの浜に着き、熊野詣の旅をスタートした。
江戸時代からは八軒家浜と呼ばれる。


この土佐堀川を上流へ行けば京都に行き着く。


いずれ熊野街道も歩いてみたいが、とても熊野古道までは遠いかなあ。
せめて和歌山の手前までは行ってみたい・・・。
こんな石標が整備されている。


これも以前訪れているが、八軒家浜船着場跡の碑。
八軒家浜とは江戸時代、8軒の宿があったことから八軒家浜と呼ばれていた。京都との間、淀川を行き来した三十石船の船着場として栄えた。
昆布店の軒先にあって、八軒家浜船着場の謂れなどを記した小冊子も置かれている。以前に頂いているので、今回は遠慮した。


京阪電車天満橋駅を過ぎ、この辺りはまだ東の方向に歩く。


寝屋川にかかる、文字通り寝屋川橋。
これを渡って左に行けば、先日歩いた大川沿いにあたる。
今日はこのまま真っすぐに歩いて京橋に行き、そこから方向を北寄りに変えて京都を目指す。


京阪電車が左側に見える。


ちょうど右手には大阪城が。


あと少しで京橋に至るが、3年前とは言え2回目なので迷うことはない。
ここまではすこぶる快調です👍






このブログを検索

G-FOOT shoes marche ブランドロゴ