愛犬マロンちゃん、女の子。
休日、朝晩の散歩は私の担当です。
ワンちゃん目線で見える世界はどんなだろう?
-60からの歩き方-
愛犬マロンちゃん、女の子。
休日、朝晩の散歩は私の担当です。
ワンちゃん目線で見える世界はどんなだろう?
9月14日(月) 晴れ時々曇り
思い立ったので、釣りに出かけてみた。場所は、迷った末に芦屋浜。西風が少々あるので、北側の総合公園前に。
いつものエビ巻き釣りで、チヌ(クロダイ)の幼稚園児くらいが遊んでくれました。
こんなのや(悔しいので画像を大きくしてみた)
9月11日(金)曇り時々小雨
実は、次の赤川鉄橋を是非とも歩きたかったが・・・。
長柄橋、毛馬閘門を過ぎて左岸沿いを歩き続ける。
ようやく赤川鉄橋に!
赤川鉄橋は城東貨物線の淀川橋梁で、線路のすぐ横に人が通れるだけの木橋が架かっていると本には書いてあった。でもこの本の発行は2012年10月となっていたので、今となっては古い情報でした。
城東貨物線は、「おおさか東線」という路線名で旅客列車の運行が始まり、放出(はなてん)~久宝寺間が2008(平成20)年3月に開通。その後北側の新大阪~放出間への延伸に伴って、この赤川鉄橋も複線化され、今では鉄道専用の橋となっているのです。
あ~、歩きたかった!
赤川鉄橋を右岸に渡り、菅原城北大橋を左岸に戻る予定であったのが、このまま左岸を歩き続けることに。まあ、コース変更はいつものことなので。
菅原城北大橋の手前には、点在するワンドが見えてきた。
淀川本流と繋がってはいるが、池のようになっていて、ヨシなどの植物が茂り、魚(日本固有種など)が卵を産み付ける貴重なスポットになっている。河川管理の人たちだろうか、小さな籠をいくつか回収していたが、中にはブルーギルの子供がいた。外来種の駆除をされているものと勝手に解釈しておいた。
最後は菅原城北大橋を左手に見ながら帰途についた。
何とも言えぬ「時間の交錯感」を味わいながら・・・。
9月11日(金)曇り時々小雨
さて次は、長柄橋をわたることになる。橋の手前で土手まで上がってみたが、横断歩道はなく車が行きかうばかり。本には書いてあるのに見落としていた。再び戻って、一旦橋をくぐり抜けてから上がると橋の歩道側に出た。(歩道は片側のみ)
橋長:656.37m 幅員:20.00m 形式:アーチ橋(ローゼ) 完成:昭和58年
9月11日(金)曇り時々小雨
ちょっと気分を変えて、淀川を下流から上流に向けて散策することに。今回は、大人の遠足「駅からウォーキング・関西」を活用させてもらった。
淀川は大阪の人には馴染みのある川ではあるが、簡単に解説すると、
その源を滋賀県山間部に発する大小支川を琵琶湖に集め、そのあと南流し、桂川と木津川をあわせて大阪平野を西南に流れている。途中で、神崎川と大川(旧淀川)に支流を分けつつ大阪湾に注ぐ一級河川。
流路延長は75km、
流域面積8,240km2
阪急「十三駅」がスタート地点。
国道176号線を梅田方面に向かい十三大橋へ。
が、ここでは橋を渡らずに手前を土手の下に降り、阪急の線路をくぐり抜けたところから土手に上がると書いてある。
降りて・・・
北御堂の中は芝生になっていて、周囲には日陰になるところにベンチがある。昼時の休憩にはちょうど良さそうだ。多分、周辺のサラリーマン、OLの憩いの場になっているのでは!?
その芝生広場(?)の右に、親鸞聖人の像。
左手には、蓮如上人の像。
なんば神社の鳥居脇にあった「稲荷社文楽座跡」の石碑。1811年(文化8)、難波神社の稲荷社に浄瑠璃小屋が建てられ、のちに松島に移転。その際「文楽座」と名乗り、初めて「文楽」が誕生たという。
歴史だね~。
9月4日(金)
全国の渡辺さ~ん!
ここ坐間神社(いかすりじんじゃ)は、天正10年(1582年)豊臣秀吉の大坂築城に当たり替地を命ぜられ現在の地に遷座されたが、元の地名(渡辺)が移されたことから、全国の渡辺・渡部等の姓の発祥の地とされているよ。
南御堂の裏側を辿ってお参りする。住居守護の神、旅行安全の神、安産守護の神等として広く信仰を集めている。
さて芭蕉終焉の地はこの辺かとMAPを見ると、どうも行き過ぎてしまったようだ。表示はこのあたりでも、指し示す矢印の場所はさきほどの南御堂の前になっている。
是非にも見ておきたかったので、来た道を戻ることに。しかし、・・・どこ?
南御堂の前を行ったり来たり、それらしき石碑は無い。反対側に渡って探すこと10分。こんなところに。
「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」
私は御堂筋を行ったり来たりで駆けめぐったようだ。