2020年9月19日土曜日

マロンのウォーキング!?

愛犬マロンちゃん、女の子。

休日、朝晩の散歩は私の担当です。

ワンちゃん目線で見える世界はどんなだろう?



こんな感じ。



今日は曇り空、風が吹いて暑さも和らいで・・・。
でも、早く帰りてぇ~。


てな、感じですかね。


2020年9月18日金曜日

久し振りの釣りは・・・

 9月14日(月) 晴れ時々曇り


思い立ったので、釣りに出かけてみた。場所は、迷った末に芦屋浜。西風が少々あるので、北側の総合公園前に。

いつものエビ巻き釣りで、チヌ(クロダイ)の幼稚園児くらいが遊んでくれました。

こんなのや(悔しいので画像を大きくしてみた)



あんなの(ミニセイゴースズキの子)や


ストレス発散にはなりましたが、・・・。

昼から出かけたので、最初は暑かったものの、夕方にかけては風が心地よく。




さてさて、次のウォーキングはどこいこ?


淀川をさかのぼる(その3)

9月11日(金)曇り時々小雨


実は、次の赤川鉄橋を是非とも歩きたかったが・・・。

長柄橋、毛馬閘門を過ぎて左岸沿いを歩き続ける。



淀川距離標。
淀川河口からの距離を表しているようで、河口には0.0kmの距離標がある。大阪市此花区役所では、区内にある淀川距離標0.0k地点を訪れた人に対して「淀川距離標0.0k訪問証明書」をプレゼントする取り組みをされているそうだ。今も、続いているのかな?


遠くから見た時に、これが赤川鉄橋かと思っていたが何かのパイプラインだった。
青いから赤川じゃないって?



ようやく赤川鉄橋に!

赤川鉄橋は城東貨物線の淀川橋梁で、線路のすぐ横に人が通れるだけの木橋が架かっていると本には書いてあった。でもこの本の発行は2012年10月となっていたので、今となっては古い情報でした。

城東貨物線は、「おおさか東線」という路線名で旅客列車の運行が始まり、放出(はなてん)~久宝寺間が2008(平成20)年3月に開通。その後北側の新大阪~放出間への延伸に伴って、この赤川鉄橋も複線化され、今では鉄道専用の橋となっているのです。

あ~、歩きたかった!




赤川鉄橋を右岸に渡り、菅原城北大橋を左岸に戻る予定であったのが、このまま左岸を歩き続けることに。まあ、コース変更はいつものことなので。

菅原城北大橋の手前には、点在するワンドが見えてきた。

淀川本流と繋がってはいるが、池のようになっていて、ヨシなどの植物が茂り、魚(日本固有種など)が卵を産み付ける貴重なスポットになっている。河川管理の人たちだろうか、小さな籠をいくつか回収していたが、中にはブルーギルの子供がいた。外来種の駆除をされているものと勝手に解釈しておいた。




最後は菅原城北大橋を左手に見ながら帰途についた。


ちょうど大阪工業大学の校舎が見えるあたりで、淀川を離れて地下鉄の駅に向かう。ここは3年前にメンタルヘルスケアの資格を取りに受験しに来たところだ。昼休みにワンドを見て寛いだのを思い出した。

何とも言えぬ「時間の交錯感」を味わいながら・・・。




淀川をさかのぼる(その2)

  9月11日(金)曇り時々小雨

さて次は、長柄橋をわたることになる。橋の手前で土手まで上がってみたが、横断歩道はなく車が行きかうばかり。本には書いてあるのに見落としていた。再び戻って、一旦橋をくぐり抜けてから上がると橋の歩道側に出た。(歩道は片側のみ)

橋長:656.37m 幅員:20.00m 形式:アーチ橋(ローゼ) 完成:昭和58年



それにしても淀川の川幅は広い。


ちょうど飛行機が降りてきた。淀川を越えれば伊丹空港はすぐ。何度も上から見ているが、見上げるのは初めてです。
そういえば海外に行かなくなって久しい。今の仕事では大阪市内を行ったり来たりするくらいだが、以前は年に数回海外出張に行っていた。
が、いずれにしてもこのコロナ禍では、行くに行けない海外出張か!?


長柄橋の上流側には阪急千里線の鉄橋が掛かっている。


やはり距離があって、普段使いで歩く人や自転車の姿もあまり見かけない。物好きが歩くくらいかな。


ようやく渡り終えるとさらに上流へ向かう。やがて見えてくるが、毛馬閘門。大阪を水害から守る大堰で、一帯は公園になっている。この辺りに与謝野蕪村生誕地の句碑があるはずだが・・・。



何気なく行き過ぎるところだった。
蕪村「春風や堤長うして家遠し」。
車や電車で淀川を渡っている分には実感はないが、歩いてみるとよく分かる。


なかなか歩きごたえあるコースではあるが、季節を考えたほうが良さそう。雨はあがったものかなり蒸し暑い。秋も深まれば、気持ち良いウォーキングになるでしょう。
まっ、それはこのコースに限りませんが・・・。


2020年9月12日土曜日

淀川をさかのぼる(その1)

 9月11日(金)曇り時々小雨


ちょっと気分を変えて、淀川を下流から上流に向けて散策することに。今回は、大人の遠足「駅からウォーキング・関西」を活用させてもらった。

淀川は大阪の人には馴染みのある川ではあるが、簡単に解説すると、

その源を滋賀県山間部に発する大小支川を琵琶湖に集め、そのあと南流し、桂川と木津川をあわせて大阪平野を西南に流れている。途中で、神崎川と大川(旧淀川)に支流を分けつつ大阪湾に注ぐ一級河川。

流路延長は75km、

流域面積8,240km2

阪急「十三駅」がスタート地点。



折しも小雨がぽつぽつと。途中昼ごはんに困らないようにローソンに寄って昼食を調達。どこででも食べられるようにパン食にした。

国道176号線を梅田方面に向かい十三大橋へ。





が、ここでは橋を渡らずに手前を土手の下に降り、阪急の線路をくぐり抜けたところから土手に上がると書いてある。

降りて・・・



土手を上がると・・・


なるほど、梅田のビル群が見えてくる。


河川敷の向こうに梅田のビル群を望む、なかなかの景色である。


これから延々と、淀川沿いを散策することになる。
とりあえず、河川敷に降りてみた。
都会の真ん中とは思えない。
草の匂いをまといつつ、小雨交じりの蒸し暑い風の中をさくさく歩く。


パノラマ写真にしてみると、こんな感じ。


BBQエリアがあった。車は結構止まっているが人の姿はあまり見えない。


最初の橋は、地下鉄メトロ御堂筋線が通る鉄橋。この下をくぐる。


また一つ鉄橋が。これはどうやら、JR京都線のようだ。



この辺りで昼食のパンをお腹に入れる。
ここまでほとんど人には出会わない。平日にこんなところを歩き廻る人など居ないのだろう。傘をさすほどでもない小雨が依然とぱらつくなか、ふたたび歩きだす。

土手に上がってみると、水道記念館の建物があった。


今回のウォーキング、テーマは「橋」になるのかな!?
以前、大阪市「中央区」にある橋から橋まで総めぐりで、歴史を感じる35橋を歩き廻ったことがあった。
今回の橋は歴史と言うより、川と橋を含めた風景になりそうだ。



本町・阿波座・・・御堂筋界隈(番外編)

 北御堂の中は芝生になっていて、周囲には日陰になるところにベンチがある。昼時の休憩にはちょうど良さそうだ。多分、周辺のサラリーマン、OLの憩いの場になっているのでは!?

その芝生広場(?)の右に、親鸞聖人の像。



左手には、蓮如上人の像。



なんば神社の鳥居脇にあった「稲荷社文楽座跡」の石碑。1811年(文化8)、難波神社の稲荷社に浄瑠璃小屋が建てられ、のちに松島に移転。その際「文楽座」と名乗り、初めて「文楽」が誕生たという。



歴史だね~。

2020年9月7日月曜日

本町・阿波座・・・御堂筋界隈(後編)

 9月4日(金)

全国の渡辺さ~ん!

ここ坐間神社(いかすりじんじゃ)は、天正10年(1582年)豊臣秀吉の大坂築城に当たり替地を命ぜられ現在の地に遷座されたが、元の地名(渡辺)が移されたことから、全国の渡辺・渡部等の姓の発祥の地とされているよ。

南御堂の裏側を辿ってお参りする。住居守護の神、旅行安全の神、安産守護の神等として広く信仰を集めている。




さて芭蕉終焉の地はこの辺かとMAPを見ると、どうも行き過ぎてしまったようだ。表示はこのあたりでも、指し示す矢印の場所はさきほどの南御堂の前になっている。

是非にも見ておきたかったので、来た道を戻ることに。しかし、・・・どこ?


南御堂の前を行ったり来たり、それらしき石碑は無い。反対側に渡って探すこと10分。こんなところに。



「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」

私は御堂筋を行ったり来たりで駆けめぐったようだ。

来た道を戻るのもなんなので、このまま南へ向かう。途中、難波神社の前を通る。御祭神は仁徳天皇とある。




心斎橋交差点を西に向かう。


すぐのところに「四ツ橋跡碑」があった。四ツ橋とは、水運のために開削された長堀川と西横堀川が十字に交差するところに井桁状に架けられていた上繋橋、下繋橋、炭屋橋、吉野屋橋の4つの橋の総称で、高度成長期に川は埋め立てられ、現在は道路となっている。



本日の最終地点は、このまま西へ向かったところにある「白髪橋」。寛永2年(1625年)に開削された長堀川に架かっていたあみだ池筋の橋。当時は土佐藩の蔵屋敷が並び、全国から材木が集まり、昭和40年代に川が埋められるまで材木市で賑わったそうだ。
石碑には「大阪木材市売市場発祥の地」とあった。


MAPではこのあと北へ歩き阿波座駅がゴールとなっているが、特に何もなさそうなので引き返して「西大橋駅」から帰途につくことにした。

心斎橋の交差点からここまでは長堀通りを歩いてきたが、この道の真ん中は広めの緑地帯なので、この中を歩いて戻ることに。都会にはこんな緩衝帯は是非必要です。

途中、気になる石碑が。(どうも石碑マニアになったようだ。)

「間長涯天文観測の地」とある。号を長涯(ちょうがい)とする間 重富(はざま しげとみ)は、江戸期の天文学者。質屋を営むかたわら自宅に観測用の高台を設け、天体の観測に励んだそうで、伊能忠敬の指導も行った人らしい。


で、英国製の観測機器を備え、天体観測や陸地測量を続けたのが北堀江・富田屋橋とある。
それが、この辺り。




都会にも歴史があるので街歩きはやめられない。

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