2018年2月22日木曜日

京街道を歩く①

2018年2月22日(木)

時間が取れたのでどこかへ行きたい。ただ時間的には遠出も出来ないので、気になっていた「京街道」を歩いてみた。時間の範囲で区切りをつければ良いや!

いきなりであるがウィキペディア「京街道(大阪街道)」から引用する。

大坂(大阪)の京橋(後に高麗橋)から淀川左岸に沿って進み、淀を経て京(京都)に向かう街道である。文禄3年(1594年)に伏見城築造に着手した豊臣秀吉が、1596年(文禄5年)2月に毛利一族に命じて淀川左岸に築かせた「文禄堤」が起源である。

大阪府のホームページに歴史街道ウォーキングマップがある。その中の「京街道、西国街道」から、「大阪中央区~守口市大庭町」を印刷、片手に持ってスタート。

地下鉄「淀屋橋」駅から大阪取引所を横目に見て高麗橋を目指す。手前にある「今橋」も大坂の陣を描いた絵図に橋の名前が記載されているようだ。これが、現在の今橋。


橋の下にあったのが旧今橋の欄干?


高麗橋の里程元標跡。ここが出発点になる。



MAPを見ながら八軒家浜を目指す。


案内板には「江戸時代以降この辺りが八軒家浜と呼ばれている」と書かれてあるが、整備された現在の八軒家浜である。


江戸時代の場所は少し川から街に入ったところにあり、「永田屋昆布本店」の前に石碑が立っている。また「八軒家浜の今昔」という小冊子を無料で提供されていた。


またこの辺りが熊野三山に至る「熊野街道」の起点となっている。


ここからは途中大阪城を右手に見ながら京橋に向かう。



京橋は前の会社の通勤の途中であったため良くぶらついた。安くて美味しい居酒屋も多い。京橋の商店街を抜けて歩き続ける。ところどころに大阪市が設置した道標が立っている。また京街道を説明した案内板もある。





関目神社の前を通り、千林商店街に入ったところで本日は終了することにした。



商店街にある道標を目印に今度再開することにしよう。


本日の総距離は、8~9kmだろうか。
歩いているうちは良いが、立ち止まると寒さのこたえる一日であった。

2018年2月16日金曜日

「潮風香る漁師町 3つの酒蔵を巡る」(3社沿線クイズ&スタンプラリー)

2,018年2月15日(木)

本日二つ目のコースに挑戦する。江井ヶ島駅をスタートすると雨粒がポツリポツリ、今日は降らない予定で雨具は持参していない。え~い、何とかなるかと歩き出す。

このコースは酒蔵も含めてグルメコースとなっているようだ。まるなか本店、名物「ひねぽん」が一つ目。雨模様が気になるし、お腹もすいていないしで先を急ぐ。


太陽酒造、江戸時代末期創業の手作りの酒蔵。見学には事前予約が要るので玄関を覗くだけ。


やがて海に出る。「浜の散歩道」として明石市が整備したしたようだ。




「ながさわ明石江井ヶ島酒館」


寄るかどうか迷ったが先を急ぐことにした。しかし、この選択が裏目に。
雨は降り続き、やみそうもない。雨宿り出来そうなところもない。
とりあえずスマホでコンビニを探し、そこまで駆け足気味に急ぐ。
コースを外れてコンビニに到着、折り畳み傘を調達して、ようやくアイコスで一服。
ここまで来たらヤメル訳にもいかないので次の住吉神社を目指す。
ここに来るまでに住吉神社は二つあったが、目的のところは「魚住住吉神社
」。クイズポイントになっている。






これがクイズポイントになっていて、真ん中のお社に祭られている神様は何?と言うもの。答えを見ながら一つずつお参りする。今年は良い年でありますように!


お参りのおかげか雨もやみ、最後に二見浦築港記念碑を拝見して帰路につく。


最終ゴール東二見駅前のマンホール。
やはり明石のうりはこれみたい。


総距離約5㎞の手頃なコースであったが、酒蔵も見物できず、雨にもたたられ盛り上がりに欠けてしまった。


「海峡せまる坂の街 海と空とを眼下に望む」(3社沿線クイズ&スタンプラリー)

2018年2月15日(木)

3社沿線もあと少しで完走のところまできた。今日は終日時間が取れたので、表題のコースと、もう一つ「江井ヶ島~東二見」もやっつけるつもり。まずは西舞子駅からスタート。

その前に、山陽電車のこの辺りはとにかく遠い。乗降りをするとお金も掛かるので「シーサイド1dayチケット」なるものを購入した。阪神、山陽電車は¥2,000で一日乗り放題になるので、十分以上に元が取れる。


明石大橋に来るのは久しぶりだが、まずは舞子砲台跡を見る。幕末に外国船の侵攻に備えて、勝鱗太郎の指導で明石藩が築造した砲台場である。




今日は曇りで雨は大丈夫だと判断した。(この後、結局降られることになるのだが・・)曇り空にかすむ景色の中、明石大橋は何枚か撮ったがこれがベストショットかな?


橋の科学館(以前入館したことがあったと思う)から孫文記念館をぐるりと廻って先を急ぐ。ここは好釣り場、通称「アジュール舞子」があるが、この季節さすがに釣り人は少ない。地合いが良ければ、ガシラ・メバルは釣れそうだ。





舞子ホテルに寄ってみた。
大正8年創建の邸宅で、海運業でも名を馳せた日下部久太郎氏が海外からの賓客をもてなす邸宅として建てたもの。巨万の財を注ぎ込み、当時の最高の技と素材を求めたと言われている。昭和17年に料亭「舞子ホテル」として創業されている。


天気がいまいちなので少し道を変えて、五色塚古墳に向かう。この古墳、思っていたより巨大で感動してしまった。ここはクイズポイントでもある。
入場は無料であるが、事務所で受付(記帳)して頂上まで登ってみる。見晴らしも良いが古墳自体も素晴らしい。






コースの最後に「赤色の舗装道路」と書いてあったが、それがこれ。

 
確かに間違いではないし、目印にはなるが・・・。


山陽垂水駅でスタンプを貰ってコースは終了。約6.5km。ここまでは何とか天気も持ったのだが・・・。

2018年2月10日土曜日

「かつての宿場町なばり町を歩く」(3社沿線クイズ&スタンプラリー)

2018年2月9日(金)

名張まで行ってきた。久しぶりの「3社沿線」である。今日はあまり時間がないので急ぎ足になりそうだ。

駅に降り立つと日差しが温かい。最強寒波と言われる今シーズンなので、これでも平年並みのようだ。歩くには都合がよい。


最初のポイント、名張藤堂家邸後に行ってみた。見学するかどうか様子を伺っていると受付の窓口からおじさんが顔を覗かせた。「入れますよ~」、と言われれば見学するしかあるまい。無料かと思いきや200円を徴収された。ならば、じっくり見学しよう。



 
名張藤堂家は、かの藤堂高虎の養子高吉にはじまる。文禄、慶長の役には朝鮮に渡海し、関ヶ原の戦いでは徳川家康に味方する。紆余曲折を得て名張に移住したのが寛永13年。名張の町の発展の基礎を築き92歳で生涯を終える。藤堂家はそれ以降、明治維新まで名張を統治し、子孫は現在東京に在住されているらしい。



 
時代劇で見た厠だ。


急いでいるくせに思わぬ時間を過ごしてしまった。
ポイントではないが、MAPにある水門を目指す。


どうと言うこともなかった。

「一の鳥居」
宇流冨志禰(うるふしね)神社の参道の始まりらしい。
いつもながら神社の漢字の読みには悩まされる。


街路灯には「初瀬街道」の看板が。
京・大和方面と伊勢を結ぶ街道で、現在の松阪市六軒から青山峠を越え、名張を経て奈良県の初瀬(長谷)へと至る歴史街道です。


よくある名前の商店街の名前「サンロード」、時間帯もあるのだろうが人けがない。

 
表具師との看板があった。帰ってから調べてみると、
「表装を職業としている人を表具師または経師という。主な仕事内容は、掛軸、屏風、衝立、額、巻物などの修理から、襖の新調、張替えなども含まれる。」とのこと。
そういえば実家には衝立があったのを思い出したが、最近は都会では見ることも少ないのではなかろうか。


次のポイントとしては「江戸川乱歩生誕地碑広場」であるが、曲がる道が分からない。結局逆の方向から辿り着いたが、ここが入り口だとわかる人はいまい。





旧細川邸やなせ宿。



この後しばらく名張川沿いを歩く。目指すは最終ポイントの名張中央公園。





野球場、陸上競技場、体育館があり、かなり立派な総合運動公園になっている。4月には桜並木で桜まつりが開催されるようだが、今の季節は広い分だけ寒々としている。




この後時間節約のためコンビニでパンを買って昼食にした。ほんとコンビニはどこにでもあるから助かる。駅前で名物の名張まんじゅうを買って帰路に就いた。

総距離約9㎞。3社沿線も10コース中、山陽電車の3コースを残すのみとなった。


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