2021年5月28日金曜日

北・山の辺の道 ④

 2021年5月23日(日) 晴れ

山村町を出てから約2kmほど、暫くは山の辺の道を楽しむ。



ちょっと、写り込んでみた。難しそうな顔をしているが、ちょっと眩しかったのかも。

お遊びはこの辺にして、丁寧に道標を確認しながら歩き続ける。


お腹が空いたが、予想通り休憩場所があまりない。おにぎりを買ってきて正解だったようで、人の少ない池のほとりで立ったまま頬張る。それでも気持ちよくて、美味しいと言ったら、この上ない!


八阪神社。特に由緒書きもなかった・・・。


白毫寺に近づくと、「歴史の道」の案内板が。
「歴史の道」は、1972年に奈良市が定めたハイキングコースのようだ。今度、調べてみよう。

白毫寺に至る参道に差し掛かった。



てくてくまっぷによると、白毫寺は椿や萩など花の寺と知られる古刹とあった。境内に入るには、有料なのでやめた。
奈良はちょっとしたところはどこでも有料になっている。維持するには必要なのだろう。こっちは歩くのが目的なので、有料のところにはあまり入らない。



奈良市街が一望と書いてあったが、こんな感じ。


さらに北へ、新薬師寺の横を通る。


で、いよいよ春日大社へ。




鹿がお出迎え!


ルート的には、本殿に入らず、二の鳥居前に出てくる。ここもコロナ前までは日曜ともなるとすごい人出であったが、今はそこそこ戻ってきたくらいかな。


西へ方向を変えて、定番の興福寺の境内を通って近鉄奈良駅に向かう。



さてさて、堺から竹内街道、横大路、山の辺の道、北・山の辺の道を経て、とうとう奈良市内まで到達した。次回は近鉄奈良駅から西に向かい、奈良暗峠越えで大阪まで行く予定。

数少ないファンの皆様、乞うご期待!

2021年5月25日火曜日

北・山の辺の道 ③

 2021年5月23日(日) 晴れ

北・山の辺の道の続き。

前回帰路についた山村町バス停が、今日のスタート地点。要するに北・山の辺の道は距離があるので半分に分けて制覇したということ。実際、てくてくマップもここで区切って作られている。近鉄奈良駅前の奈良交通のバス停から終点まで揺られて山村町バス停に。


山村町バス停を降りたのは、私を含めて3名のみ。私以外の2名は連れのようで、同じくウォーキング客のようだ。バス停を降りたら直接円照寺のほうに向かって去っていった。


私はと言うとまっぷに忠実に、竜王池から円照寺に回り込む。

竜王池。




ここから円照寺に入る。ただ、この鳥居は竜王池にある島に鎮座する社の鳥居らしい。

雰囲気のある竹林の中を進む。


綺麗な花が・・・。

途中、小さなお堂があって、傍らには「慈照院法眼直心碑」と刻んだ石碑が立ち、西国三十三所の御詠歌を刻んだ33本の石柱が立っていた。



小さなお堂を出てそのまま進むと、円照寺への参道に出る。綺麗に整備されている。

円照寺は斑鳩の中宮寺、佐保路の法華寺と共に大和三門跡と呼ばれる門跡寺院で、華道の「山村御流」の家元でもある。別名、山村御殿(山村御所)。御殿と呼ぶに相応しい佇まいと雰囲気である。


円照寺を出て、崇道天皇陵へ向かうが、あまりに道が細かったのでパスして回り道をしてしまった。


崇道天皇、生前の名を「早良親王」と言い、藤原種継暗殺の謗りを受け、無罪を立証するために淡路の地へ配流の途中絶食し息絶えたとされる。その祟りを鎮めるために死後崇道天皇と追称され、この地に改葬されたことが崇道天皇陵の由来と言われている。

早良親王は歴代天皇には数えられていない。それなのに「天皇」と呼ばれる特異な存在なのだ。


白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)



白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)は石川県の白山神社の総本山「加賀一宮」の「白山比咩神社」に鎮座する白山権現の信仰によるもので、祭神は全国に点在する「白山神社」と同様菊理比咩命 (きくりひめのみこと)となっている。

菊理媛神は伊奘諾尊と伊弉冉尊を仲直りさせたとして、縁結びの神!

ここまでで約2km歩いたことになるが、中身が濃い!疲れたので・・・

・・・次回に続く


2021年5月22日土曜日

ぶらりウォーク・・・海底トンネルと道頓堀(大阪メトロ)②

  5月22日(土) 曇り時々晴れ

ところで表題のぶらりウォークは、2017年6月24日に開催された催しになっている。これでひとまず、表題の海底トンネルはクリア。後半は道頓堀へ向かうが、最初に茨住吉神社。

荊棘を駆除して社殿を建設したことから茨の字を冠した説と、摂津国菟原郡住吉村の本住吉神社を分祀した説があるようで、確かに名前の由来はいろいろあるね。



最近、こんな字は見ない。どうも、変電所と思われる。
(間違ってたらすみません。ー 誰かアドバイスください)


これも以前訪れているが、川口居留地跡石碑と、左に見えるのが河口基督教会。
まとめて撮ってみたが、どう?


このまま北へ向かうと、今度は大阪船手会所跡碑。

石碑や案内板によると、大阪湾から木津川・淀川への船舶の出入りを管理する江戸幕府の役職を船出と言い、その中心施設がこの地にあった船出会所とある。



木津川を渡る。


津波高潮ステーション。
大阪府西大阪治水事務所が所管しており「防災棟」と「展示棟」に分かれている。「展示棟」では高潮や南海トラフ巨大地震に伴う津波災害に関する展示・映像の上映を行っているそうだ。
津波災害体感シアター「ダイナキューブ」と言うのがあって、津波災害を音と映像で体感できるとのこと。興味はあったが、ご覧のように緊急事態宣言下では休館となっている。



いよいよ道頓堀に近づくが、途中土佐稲荷神社に。
もともと土佐藩とのかかわりが深い神社で、明治初年に土佐藩蔵屋敷とともに岩崎弥太郎に譲り渡された。岩崎弥太郎は、ご存知三菱財閥の創始者であり、この地が三菱財閥の発祥の地となった。いまでも、三菱グループの守護神となっている。




和光寺の前を通って、四ツ橋へ。


四ツ橋は、長堀川と西横堀川が十字に交差した地点に「ロ」の字型に架けられていた4つの橋の総称で、今は川も埋め立てられている。


御堂筋を南下し、いよいよ道頓堀川のリバーウォークを歩く。


とりあえず定番なので、どうぞ!


ドン・キホーテの前を通り、


こんなたこ焼き屋さんの前を通り、


正式には、「とんぼりリバーウォーク」と言う。


日本橋で上に上がり、最後は安井道頓・道卜の紀功碑。彼らはこの地の発展には水運が必要と考え、堀川を掘削し、のちに堀沿いに芝居小屋などを誘致したことから発展がはじまった。やっぱり大阪は商人の街です。



大阪メトロの「ぶらりウォーク」も最近はコロナ禍で開催出来ていないが、もともと大阪市の地下鉄だけあって市内中心に様々なウォーキング企画をやっている。しばらくは、過去に開催されたウォーキングのマップを活用させてもらおう。

おまけ、安井道頓・道卜の紀功碑の横にあった道頓関という関取の張りぼて。ほんとに居たのかどうかは???



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