2020年3月28日土曜日

横大路(磐城から桜井まで)②

3月20日(金) 晴れ

大和八木駅に着くまでに見つけた石灯籠。弘化4年とあったので、天保のあと、1848年にあたる。江戸時代の作と言うことか。



ウォーキングをしていると昼食が悩みの種となる。コンビニで買っておくと食べる場所に苦労する時があるし、食事処を当てにしていると、そんなときに限って巡り合わない。今回は少し我慢して、大和八木駅で食べることに。

街道に戻って、太神宮灯篭を探す。

あった、あった!
この灯篭は、ここから東に200mのところにある「接待場」として伝承されている場所にあったのを移築したらしい。



藤原宮もこの近くのようだ。


やがて左に見えてくるは「耳成山」。
山の標高は約139メートル。天香久山、畝傍山とならんで大和三山の一つをなし、最も北に位置する。



山口神社の鳥居。
本来は耳成山に鎮座していた神様だったのが、耳成山の祭祀に関して、耳成山西麓の木原町との間に争いが起こり、木原町の勝訴で決着してしまう。そこで、敗訴した山之坊町の宮司が神霊をこの場所に遷したそうな。


ようやく「桜井西之宮三輪神社」



鳥居の横にある欅の木、江戸時代の「おかげ参り」には伊勢街道の目印となっていたようで、現在も御神木として地域の人々に崇められているそうだ。


神社の南西の角が中ツ道との交差点。


こちらが、中ツ道。


で、こちらが横大路。(東方向)


途中のJR香久山駅は無人駅だった。駅前には橿原観光案内図が。



「庚申塔」(中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと)を見つけた。


さて、あと少しで近鉄桜井駅。
横大路も完歩したので、次は山の辺の道を北に向かって天理から奈良まで行くことになる。このところ新型コロナの影響で市内は歩きにくいが、郊外なら気分転換にもなるので街歩きならぬ街道歩き、みなさんにお勧めしたい。




2020年3月21日土曜日

横大路(磐城から桜井まで)①

3月20日(金) 晴れ 風強く

竹内街道を3回に分けて制覇したので、次は奈良を東西に横切る「横大路」に。
地図を見る限り道は一直線、距離は12.6㎞とある。ほど良い距離かな。

前回終了地点の磐城駅に到着。
途中、二上山登山らしき人たちが下車した後、この駅での降客は私を含めて3人のみ。


昔の旅人にならって、まずは長尾神社にお参りして道中の安全を祈る。


すぐに見えてきたのは木戸池公園。青空が広がっているが、とにかく風が強い!



道は地図通り、ほとんど真っすぐに伸びている。


途中立ち寄ったコンビニの横に石碑があり、明治天皇遥拝所とある。


地名ってその土地のいわれが残ることが多いけど、この地名はどこから来たのでしょうか?調べてみたけど、分からない👀


大中公園に行き着く。コロナのせいか、強風のせいか、はたまた桜には少し早いせいか、人出は少ない。「竹内街道~横大路」の石標があった。




8世紀初頭の創建、「長谷本寺」。横大路に面している。


本尊の十一面観音菩薩像は奈良県指定文化財とある。



少し寄り道して専立寺、寺内町に向かう。
専立寺は1600年の創建で「高田御坊」ともいわれる。ここを中心に寺内町が発展した。



寺内町を歩くと、間口が狭く奥に長い家がある。この家で奥行、40~50mは有るだろうか?よく聞く話ではあるが、昔々の固定資産税対策・・・?



しばらく寺内町を楽しんだのち、街道にも戻る。

太神宮の高灯籠。
旅の道しるべとして明かりが灯され、伊勢を目指す「おかげ参り」は大群衆となってこの前を通ったと言われる。想像するだけで楽しくなってくる。


てくてく歩く。街道に面した所どころに、このようなお堂があったりするが、いわれは分からぬ。



半分ほどは来ただろうか。この道はほとんど真っすぐで、アップダウンも少ないのだが、意外にも疲れる。考えてみれば使う筋肉は一定だし、視覚的にも突然出会う意外性もない。途中に見るものも無ければ、疲れも増してくる。

でも、歩く!

途中、柏原バイパスを横切るが横断歩道がなかった。迂回が必要かと思ったが、地下道があった。


飛鳥川。綺麗な水の流れ。


豊津橋の道標。読めないが、右は「たつた~」とも見れるので、竜田川方面を示しているのだろうか。


昼時であるが、例によって何もないところを歩いている。あと少しで「大和八木駅」近辺なので、そこでの昼食を楽しみに歩き続ける。

・・・SIDE-Bに続く

2020年3月12日木曜日

竹内街道(古市から磐城へ)③

3月6日(金) 晴れ

「竹内街道歴史資料館」休館は残念だったが、気を取り直して再び街道を歩く。登りが続く。途中からは国道166号線となり歩道を歩くが、所どころ歩道が無くなるので、行きかう車が怖い、怖い!


汗ばんできたころに峠に到着。またしても、緑の一里塚。


右、河内国。左、大和国。


聖徳太子もこの峠を越えて四天王寺と飛鳥を往復したし、遣隋使などの使節もこの峠を越えて飛鳥京を訪れたと言われる。国道166号は峠のすぐ北を深く掘り下げて通っている。



小さな広場も作られてあった。ここを左に、国道166号を横切ると街道の入り口との表示があり、危険な国道とはおさらばして街道らしい道を下っていくことになる。



やれやれ、ここからはのんびりと歩ける。


小さなお地蔵さんが彫られた石があった。


再び国道に合流するが、少し歩くと長尾神社の前で166号とはお別れ。竹内街道として整備された綺麗で歩きやすい道が続く。こうでなくちゃ!




暫くすると「綿弓塚」。松尾芭蕉が竹内に宿ったときに詠んだ句を記念して句碑が建てられている。


句碑の横には、約百年前に建てられた高松酒造という造り酒屋の建物を改修して整備された休憩所もあった。誰もいないが、・・・。



さて、いよいよ街道の終点が近づいてきた。堺を出発してから3回に分けて歩いたが、昔は一日で越えたんだろうね。それでも、ちょっとした達成感が湧いてくる。
再び、一里塚。あと少し。


最終地点は長尾神社になる。ここから東に向かえば、横大路、伊勢街道、南に向かえば高野街道と交通の要であり、古くから旅の安全を祈願する旅人に信仰されてきたようだ。





世間が新型コロナウイルスで騒がしい時に、移動の電車ではマスクをして声を潜めて、街道に出れば汗をかきかき、とうとう竹内街道を制覇しました。次は、横大路を東に向かいます。

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