2022年2月21日月曜日

ブログの引っ越しを考えています

このブログ、始めたのは5年前の2017年4月。なので、約5年間続いてきたことになる。


この間、Bloggerを使わせてもらっていて、初心者には非常に使いやすいブログサービスではあるが、一方ではデザインや構成を変えてみたりとか、拡張していくとなると、(Bloggerを含めて)既存のブログサービスではやはり物足りなくなってくる。

そこで思い切って、Wordpressに挑戦することにした。サーバーを立てる必要もあり、テンプレート等お金もかかるし、仕組みや使い方を勉強する必要もあるので苦労は目に見えているが・・・。

もう一つ引っ越しする理由に、60才からの「5年ルール」を立てたのもある。60才を過ぎると、いかに良く生きるかと言うのを意識し始める。だらだらと生き延びている場合ではないのだ。

そんなこんなで、実はすでに準備は始めていて少しづつ形は整ってきた。
      新しいロゴまで作ったし↓


4月からのスタートを考えていたけど、前倒ししようかな!?

もちろん、お知らせしますので、その節はよろしくい!


2022年2月20日日曜日

古市古墳群と藤井寺市の名所めぐり(近鉄ハイキング)③

藤井寺の駅前商店街を抜けて、さらに歩くと、大きな常夜燈。

この間、長尾街道を歩いたようだが、あとで気付く。


少し先にあったのは、産土神社。主祭神は素戔鳴命(すさのおのみこと=牛頭天王)となっており、境内社には金刀比羅社と稲荷社がある。

神職の方はおられないようで、先ほどの辛國神社で管理しているそうです。マップでも特に立ち寄りポイントにはなっていない。



今度はポイントである、津堂城山古墳。


ちょうどお昼だし、格好の休憩場所があったので、昼ご飯とする。いつもはパン食だが、今日は”おにぎり”!

これも手軽で良いよね~。


天気も良いので、ご飯が美味しい!!!

小休憩の後、古墳を反時計回りに歩いていく。すると広場があって、史跡城山古墳ガイダンス棟「まほらしろやま」や、休憩できるベンチもあった。

一角には、津堂城山古墳出土長持形石棺の実物大レプリカ。


さらにまわり込むと、津堂八幡神社。


ここは古墳公園となっていて、内濠跡部分には、菖蒲園(しょうぶえん)や草花園(そうかえん)が造られているが、季節柄はやはり梅になるのかな。

神社の前には梅が綺麗に咲いていた。



次の古墳は、高鷲丸山古墳(雄略天皇陵)。



さて今回の近鉄ハイキングはここまで。
久しぶりに参加させてもらったが、心なしか参加者も少なく感じた。

3月以降の開催も発表されていないが、コロナ禍では仕方がないのかな。早く以前の日常に戻ってほしいものだ。


2022年2月19日土曜日

古市古墳群と藤井寺市の名所めぐり(近鉄ハイキング)②

久しぶりの近鉄ハイキング。

しばらく中止されていたが、探り探りの再開をされているようで、2~3か月ごとに次回の開催を発表している。今のところ、1~2月の催ししか分かっていない。以前は、もっと早く計画できたし、開催数も多かったと思う。新型コロナ感染症が、ここでも影響している。

さて、道明寺天満宮の続き。歩いていると。石碑発見。

仲姫命御陵は、応神天皇の皇后にあたり、仲津山古墳と呼ばれるもの。古市古墳群の中では、応神天皇陵につぐ2番目の大きさ。

今回の行き先は、皇后のほうではなく、応神天皇陵に向かっている。


それが、ここ。


古墳に来ると、不思議なパワーを感じるのはなぜだろう。



古墳前には、必ず説明板を設置してくれている。
説明板の左下を見れば、古墳の多さもわかるというもの。


この後は、「アイセルシュラホール」(藤井寺市立生涯学習センター)に。休憩ポイントにしているんだろう。普通のホールかと思っていたら、珍しい建物だった。

藤井寺市のHPから引用。

アイセル シュラ ホールの愛称でみなさんに親しまれており、アイセルとは、Activity(活動)、Information(情報)Consultation(相談)、Exchange(交流)、Learning(学習)の頭文字で、シュラは、藤井寺市から出土した古墳時代に巨石を運搬したと思われる修羅のことです。建物の外観デザインは、船形埴輪と修羅をモチーフに、歴史を継承し未来へと出帆する船をイメージしています。



小休憩したのち、今度は藤井寺駅の方角に向かう。


途中、酒造元があった。ウォーキングをしていると、たまに小さな酒造所を見かける。こういうところのお酒はきっと旨いんだろうなとつばを飲み込んで先を急ぐ。

藤井寺駅の手前、今回のコースポイントではないが、辛國神社。

約1500年前、雄略天皇の代に創建されたというから、かなり歴史的に古い。このあたりを治めていた物部氏がその祖神を祀ったのが始まりだとか。



この神社の反対側にあるのが、葛井寺。
コースなりでは西門から入ったみたい。


本堂は重要文化財とある。


本尊は十一面千手観世音菩薩(千手観音)で国宝。大阪府下で唯一の天平時代の作品というにとどまらず、日本彫刻史上、奈良の唐招提寺の乾漆立像と双璧と讚えられる乾漆像の傑作とされているので、一見の価値あり。

本堂の拝観と本尊のご開帳は縁日の毎月18日とあるから、興味のある方は是非どうぞ。

寺伝では神亀2年(725年)聖武天皇の勅願で行基が創建したとあるが、別説では古代氏族葛井氏の氏寺として、7世紀後半の白鳳時代に建立されたと藤井寺市のHPには記載されている。

いずれにしても由緒のある古い神社ではある。

もう一つ有名なのが、「藤」。
毎年、4月中旬から5月上旬にかけて、「藤まつり」が開催されるようで見ごたえがありそうです。



南大門。


葛井寺を後にして北上。商店街を抜ける。


コースはさらに続く・・・。


2022年2月17日木曜日

古市古墳群と藤井寺市の名所めぐり(近鉄ハイキング)①

2022年2月12日(土)

実は前日の東高野街道に歩きに続き、二日連続のウォーキング。久しぶりに日程が合ったので、近鉄ハイキングに出かけてみた。

正式な名前は、「世界遺産と寺社を歩く 古市古墳群と藤井寺市の名所めぐり」と欲張ったお題がついている。

スタートは近鉄南大阪線道明寺駅。


道明寺駅周辺案内図。


大阪夏の陣、道明寺合戦記念碑がどんと座っていた。

石碑の左にちらっと見えているのが駅員さんの袖。コロナ感染症対策と言うことで、検温、手指の消毒ののち、マップを自ら頂いて出発となる。


もう一つ、ふじいでら観光案内図。
これでもかとPRしている。


まずは駅前商店街を抜けて、道明寺天満宮に向かう。

それにしても、相変わらず年配の方が多い。


道明寺天満宮に入る。

大きな灯籠が目についた。


灯籠を過ぎると、小林一茶の石碑が。

「青梅や 餓鬼大将が 肌脱いで」

一茶、33才のの時、寛政7年(1795年)西国行脚中に立ち寄った時に詠んだという。


いよいよ道明寺天満宮にお参りする。


祭神は、藤原道真公、天穂日命、覚寿尼公(道真のおば)。梅の名所として知られているとともに大阪みどりの百選に選定されている。


撫で牛。自分の悪いところを撫でると良くなると言われる。


さざれ石。国歌にある、「さざれ石の巌となりて~」♪

何とこの石、白亜紀後期〈約7千年前)の和泉層礫岩。


本殿にお参り。


大阪で一番古いという能楽殿。


ここは見るべきものが多い!

猿回しの芸までやっていた。


一通り見学させて貰ったので、先を急ぐことに。

と言っても、今日は距離は短いので焦ることもないけど・・・。


天満宮入り口の脇に土師窯跡碑があった。

ここは日本で最古の陶業発祥の地とされている。


梅はどうかと見て廻ったが、今年は寒いので、開花情報では「咲き始め」の状態のよう。



ではこれから古墳群・藤井寺の寺社を見に行くとしますか。





2022年2月15日火曜日

東高野街道(京阪交野線郡津駅~JR四条畷駅)③

打上の弘法井戸は道路工事のため遠くから拝見しただけに終わったが、気を取り直して先を急ぐ。

打上の四ツ辻にでた。

ここは、南北に走る東高野街道と東西を走るなら伊勢道の交わるところ。寝屋川市が案内板(右側)を設置してくれている。左の石標を建立したのは、酒屋の勘兵衛さんで父母のために建てたとある。



反対側から見ると、「東 なら いせみち」とあり、「北 京 八はた 柳谷 妙見道」と読めるね。


さらに、打上古墳群。

この周辺には、古くから多くの古墳があったといわれていて、これら花崗岩の巨石は、かつてこの付近に散在していた古墳に使われていた石材を集めたものと考えられます。(寝屋川市の案内板より)



寝屋川市が整備している「文化と歴史のみち」は、文字通り歴史や文化に触れることのできるウォーキング(散策)コースとなっているようだ。


2月堂灯籠。
左側の大きな灯籠は、正面に「二月堂」と刻まれ、側面には「天保十四年」(1843年)の年号が刻まれている。「二月堂」は、奈良東大寺二月堂を指すといわれている。


説明板を持つこのお人形さんみたいのが、何とも言えず可愛い!!


右側の石灯籠は「八幡宮」と刻まれ、明和3年(1766年)、江戸時代中ごろのの年号が刻まれている。


やがて四条畷市に入った。
実は、ここに来るまで四条畷は大東市にあると思っていた。別々の市なんだ。
住民の人には申し訳ないが、地元を離れると結構分かっていないものです。


石碑を見つけたが、これが何かは分からない。
・・・申し訳ない。


四条畷市もこんな説明板を用意してくれている。実にありがたかった。
これを写メして、画像を見ながら迷わずに歩くことができたのだから。


三徳稲荷大明神とある。街道の目印。


清滝街道の石標がひっそりと建てられている。清滝街道は、大阪府と奈良県を結ぶ街道のひとつで、伊勢街道・奈良街道のひとつ。 四條畷市の清滝峠を越えることからその名が付いたそうだ。

大阪には街道が多い。古代には都があったし、伊勢や高野山、京都などを訪れる起点や中継点になったからだろう。


街道沿いにある、四条畷市立歴史民俗博物館。
四條畷市内の遺跡の出土物を、イラストをまじえて展示したり、昔のくらしや道具などについて展示している。


和田 賢秀(けんしゅう)の墓地があった。南北朝時代の武将。


最後は四条畷神社。


本殿ははるか彼方に見えている。
さすがにお参りする気力も体力も失せていた。


ところで、お気づきだろうか?
大阪府の東高野街道マップでは、JR郡津駅からJR野崎駅までとなっているのを?

今回は時間の都合のせいにして四条畷で帰途についた。
(実は、足が痛くて疲れたというのがほんとのところ)

次回は四条畷から、野崎参りの野崎観音を経て、地元の瓢箪山まで頑張ってみるつもり。


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