猪とはお近づきになりたくないので、矢田寺からは大和郡山城跡に向かうことにした。ここからはほぼ平地なので歩きやすい。最初に目に止まったのは、大和郡山市総合公園。
お昼だし、おにぎりを持参しているので座って食べれるところを探すが、それらしき場所は見当たらない。公園とあるが、スポーツ施設が中心のようだ。
しばらく歩くと、大和民族公園に行きついた。民族博物館もある。多目的広場とやらでベンチに座って、午後1時にようやくご飯にありついた。
休憩タイムは約20分。ふたたびGoogleMapを頼りに歩き続ける。田園風景も良い。
大和郡山城であるが、豊臣時代初中期に秀吉の弟秀長が大和国・和泉国・紀伊国三ヵ国100万石余の領主として郡山城に入る。秀長は城を100万石の居城に相応しい大規模なものに拡大し、城郭作りや城下町の整備を急いだため根来寺の大門を移築したり、当時大和は石材に乏しかったために、天守台の石垣には墓石や石仏(地蔵)までも用いられているそうだ。
本丸、毘沙門曲輪、法印曲輪、麒麟曲輪、緑曲輪、玄武曲輪等の曲輪が多く普請され、大規模なものになった理由として、豊臣秀長の居城として以外に、大坂城の防衛の城としても重要であったと考えられている。(ウィキペディアより抜粋)
「続日本百名城」の一つにもなっている。
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