2020年7月22日(水)
橘寺を北へ向かい、かつては壮大な伽藍を誇っていた名残りをとどめるという「川原寺(弘福寺-ぐふくじ)に。
「飛鳥の四大寺」の1つに数えられた大寺院であったが、中世以降衰微し廃寺となった。現在は跡地にある真言宗豊山派の弘福寺(ぐふくじ)が法燈を継承しているとのこと。礎石があるので凄いと思ったが、復元されたものらしい。
広さは東西詳細わからず(最低でも150m)、南北およそ300mを誇っていたようで、礎石を辿れば実感できる。
ここから戻ることにしたが、前回紹介した橘寺の横に石碑があった。聖徳皇太子御誕生処とある。
飛鳥時代に想いを馳せながら歩き続けると、蓮の花を見つけた。これを見るとお盆が近いと思ってしまう。
筋トレもしているせいか、いわゆる足腰は余力を残しているが、そろそろ足裏の痛みが限界にきている。
さてさて「亀石」までやってきた。かすかな記憶ではあるが、幼いころに遠足か何かで来たことがある・・・ような気がしている。
~案内板より~ 亀石の伝説
昔、大和が湖であった頃、湖の対岸の当麻(たいま)と、ここ川原の間にケンカが起こった。長いケンカの末、湖の水は当麻に取られてしまい、湖に住んでいた沢山の亀は死んでしまった。
この何年か後に亀を哀れに思った村人達は、亀の形を石に刻んで供養したという。今、亀は南西を向いているが、これが西を向いて当麻を睨みつけた時、大和盆地は泥沼になるといわれている。
西を向く日が来るのだろうか!?
もう一つ見たかったのが、「鬼の雪隠(せっちん)」。
雪隠がトイレのことだと分かる人は、それなりのお年の人かな?
確かにこれが雪隠なら、鬼でないと使えない。
ようやく終点に近づいてきた。
「欣明天皇陵」-もちろん宮内庁の管理地。
欣明天皇は、・・・自分で調べてみ。
吉備姫王墓にある猿石。
1702年(元禄2年)に梅山古墳の付近にあった平田村池田という場所の田んぼから掘り出されて古墳の南側に置かれていたが、明治初年ごろに現在の場所に移されたらしい。(Wikipediaより)
4体の猿石は左側から順に女、山王権現、僧(法師)、男と並んでいる。猿石と言うからには、そのモデルは猿なのかと思いきやそうでもなさそう。 ”人の顔” にもとれるし、性器を彫ったものもあるそうで、渡来人がそのモデルになっているのではないかと言われている。
すでに13時半を廻っている。今回失敗したのは、飛鳥駅から数分のところにあるコンビニで昼ご飯を調達してから歩く予定だったのが、コロナの影響で休業していた。ここまで昼抜きだったので、空腹と疲れでへとへと。駅前の喫茶店で、遅めの昼食を取って帰路についた。
久し振りの歩きに満足したが、これからはどうなるんでしょう?
早くコロナが収束してくれないと、ウォーキングすら自由に楽しめない。