8月28日(金)曇り時々晴れ
例によって、「歩いて楽しむ大阪」から。
この本の特徴は歩く距離が概ね4km~8kmに収まっていることで、猛暑の中で歩くにはちょうど良い。この時期、無理はしないことかな。
上町台地の南端にあたるこの辺り、縄文時代に大阪が内海であった時でも半島の付け根なので古くから人が暮らし、歴史を作り上げてきた。今日は南北朝時代や平安時代に遊んでみたい。
スタートは天王寺駅から南を目指す。右側にはQ’s MALL。所々に、くまのかいどう「熊野街道」の石標がある。
ここから歩いてすぐのところに「安倍晴明神社」。ご存知、陰陽師。
安倍晴明、戯曲には阿部保名が助けた狐との間にできた子とあることから、境内には狐の像が並んでいる。ちなみに陰陽道とは、もともとは古代の中国で生まれた自然哲学思想、陰陽五行説を起源として日本で独自の発展を遂げた呪術や占術の技術体系のこと。のちに除災のために御払いをするもの全てが陰陽師とよばれるようになった。
映画「陰陽師」を見た事があるが、呪術師として描かれている。呪術でコロナ禍を早く取り除いてくれないものか。
阿部王子神社。平安時代にはじまる熊野詣は、京から淀川を下り、大坂・八軒家浜から熊野街道を南下していく。街道には九十九王子と呼ばれる王子社が各所にあり、人々はこれらを参拝しながら道中を続けたと言われる。大阪府下に唯一残る王子社がここ。
「もと熊野街道の碑」があった。
次は南北朝時代にさかのぼる。
北畠顕家墓所。南朝の中心人物として忠勤に努めた北畠親房の長子。陸奥守として奥州にいたが、足利尊氏の離反に上京してこれを破る。のちに尊氏の再挙に再び戦うが敗れ、21歳にして陣没した。今と比べると、相当中身の濃い人生だったのじゃないか。
この後立ち寄った「阿部の神社」のご祭神は、北畠親房・顕家父子。
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