9月4日(金)雨のち曇り時々晴れ
朝から雨が降りしきっていたが、西のほうから晴れてきそうなので、思い切って出かけることに。
例によって「歩いて楽しむ大阪」から御堂筋界隈を歩いてみることにした。特に気になったのは、松尾芭蕉の終焉の地なる石碑。
「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」
年を取ると、今この瞬間も旅をしているのじゃないかと思えてしまう。自分の終焉の地はどこだろう。
スタートは大阪メトロ「肥後橋」駅から。ひとまず西方向へ。
日本基督教団大阪教会。
ロマネスク様式、赤煉瓦の 建物は1922年(大正11年)建築家W .M.ヴォーリズによって 設計されたとある。日本で最も歴史と伝統の あるプロテスタント教会のひとつ。戦災や阪神・淡路大震災でも守られ、1996年国の登録有形文化財 に登録された。
いったん戻って次は南へ向かうと「靭公園」(うつぼこうえん)がある。なるほど都会の真ん中にあって閑静なたたずまいのある公園だ。南北に150m、東西には800mもある。江戸時代には塩魚などを扱う問屋が集まっていた。
しばらく散策したのち、いよいよ御堂筋へ。
現在の御堂筋は、大阪の北の玄関口梅田と南の玄関口難波を結ぶ、長さ約4㎞、幅約44m、全6車線の幹線道路で、日本の道100選のひとつになっている。1919年(大正8年)の第一次都市計画事業の都市計画街路第1号線として、延長4 km、幅員44 m(24間)へ拡幅する事業計画を発表したのが最初。
当時は飛行機の滑走路でも作るのかと揶揄されたようであるが、今では交通量のせいで南行きの一方通行になっている。
御堂筋脇にはオブジェが建てられている。この題名は「アコーディオン弾き」。
さらに南へ下ると、船場センタービル。阪神高速の高架下につくられた巨大問屋街。御堂筋本町を中心に東西およそ1kmつづく建物は、1号館から10号館まであり、繊維製品、靴、時計、宝石などを扱う店舗約1,000店がひしめき合う。中に入れば涼しいので誘惑にかられたが、先があるので意を決してさらに南へ向かう。
南御堂。慶長7年、京都に東本願寺が建立されるまで真宗大谷派の本山だった。
南御堂の石垣の巨石。
朝の雨が嘘みたいに晴れてきたが、そうなると暑い。
この後坐摩神社に向かうが、実はこの南御堂の前に芭蕉の終焉の地なる石碑があったのだ。
この顛末は次回に。
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