9月4日(金)
全国の渡辺さ~ん!
ここ坐間神社(いかすりじんじゃ)は、天正10年(1582年)豊臣秀吉の大坂築城に当たり替地を命ぜられ現在の地に遷座されたが、元の地名(渡辺)が移されたことから、全国の渡辺・渡部等の姓の発祥の地とされているよ。
南御堂の裏側を辿ってお参りする。住居守護の神、旅行安全の神、安産守護の神等として広く信仰を集めている。
さて芭蕉終焉の地はこの辺かとMAPを見ると、どうも行き過ぎてしまったようだ。表示はこのあたりでも、指し示す矢印の場所はさきほどの南御堂の前になっている。
是非にも見ておきたかったので、来た道を戻ることに。しかし、・・・どこ?
南御堂の前を行ったり来たり、それらしき石碑は無い。反対側に渡って探すこと10分。こんなところに。
「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」
私は御堂筋を行ったり来たりで駆けめぐったようだ。来た道を戻るのもなんなので、このまま南へ向かう。途中、難波神社の前を通る。御祭神は仁徳天皇とある。
心斎橋交差点を西に向かう。
すぐのところに「四ツ橋跡碑」があった。四ツ橋とは、水運のために開削された長堀川と西横堀川が十字に交差するところに井桁状に架けられていた上繋橋、下繋橋、炭屋橋、吉野屋橋の4つの橋の総称で、高度成長期に川は埋め立てられ、現在は道路となっている。
本日の最終地点は、このまま西へ向かったところにある「白髪橋」。寛永2年(1625年)に開削された長堀川に架かっていたあみだ池筋の橋。当時は土佐藩の蔵屋敷が並び、全国から材木が集まり、昭和40年代に川が埋められるまで材木市で賑わったそうだ。
石碑には「大阪木材市売市場発祥の地」とあった。
MAPではこのあと北へ歩き阿波座駅がゴールとなっているが、特に何もなさそうなので引き返して「西大橋駅」から帰途につくことにした。
心斎橋の交差点からここまでは長堀通りを歩いてきたが、この道の真ん中は広めの緑地帯なので、この中を歩いて戻ることに。都会にはこんな緩衝帯は是非必要です。
途中、気になる石碑が。(どうも石碑マニアになったようだ。)
「間長涯天文観測の地」とある。号を長涯(ちょうがい)とする間 重富(はざま しげとみ)は、江戸期の天文学者。質屋を営むかたわら自宅に観測用の高台を設け、天体の観測に励んだそうで、伊能忠敬の指導も行った人らしい。
で、英国製の観測機器を備え、天体観測や陸地測量を続けたのが北堀江・富田屋橋とある。
それが、この辺り。
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