2021年3月18日木曜日

石碑、石柱、石のいろいろ?②

 2021年3月19日(金) 晴れ

前回の続き・・・今年のウォーキングで出会った石碑のいろいろ。

守口をスタートに2コース歩いてみたが、最初の石碑は大塩平八郎ゆかりの書院跡。



西三荘ゆとりの道には多くの石碑が・・・。


石のモニュメントもそこかしこに。



鶴見緑地にはゾーンごとに名称があった。



鶴見新山。


こうしてみると新しい石碑も多い。
水路の跡を示している。


当然神社の名称は石柱に掘ったものが多い。


~跡と言う石碑はとても多いね。



こうして振り返ってみると、そこかしこに石が使われている。風雨にさらされるので丈夫でないと持たないからか。昔の石碑になると、風化して色も褪せて、何とも言えぬ佇まいとなり、景色に同化するのが何とも言えない。

ただせっかくの石碑もフェンスに囲まれては台無しだね。



歌碑もあった。



八剱神社。


最後は森之宮の近くにある、大阪砲兵工廠跡の碑。


2ヶ月ほどの間に出会った石碑だけでこれだけあるのだから、普段は如何に見過ごしているかだね。石碑だけでもウォーキングのテーマになりそう。

今回は少々寄り道したけど、次回からまた歩きます。

2021年3月15日月曜日

石碑、石柱、石のいろいろ?①

2021年3月15日(月) 晴れ

本来ならどこかへ出かけているところだが、とりあえず休養日。

道標・・・道路の辻、街道の分岐点に立てられた交通標識で、自動車交通が発展する以前に造られたものが多く、江戸時代のものがとくに多いらしい。

石碑となると、道標に関わらず、かつての~跡や、昔の状態を表して記念碑としているものもある。

こんなものに興味を示す人は多くはなかろう。調べているうちに「大阪の街道と道標」(武藤善一郎)と言う本があったが絶版になっており、再販の予定もなさそうだ。となれば読んでみたい。図書館にはあるかもしれないので、時間が出来たら調べてみるか。

毎年1月に、開運松原六社参りに行っている。最初に訪れた紫垣神社の石碑。


阿保神社の近くにある「海泉池満水石」。石碑の横に説明版もあり、海泉池が丹比野(たじひの)の谷筋を堰き止めた溜池で、立部の阿湯戸池から上の池、今池、小治ケ池、樋野ケ池、寺池、稚児ケ池と不整形な池が一列に並ぶ群池であると記されている。海泉池の名称は、地底に湧水があり、大きい池を海にたとえ、その池を誉めたたえた名称。


おっと、これは石碑ではないがこの道がかつて中高野街道であったことを示すもの。


松原の六社の一つ、阿麻美許曽神社の石柱。


所々にこの石碑がある。「開運松原六社参り」。


いつも最後にお参りする布忍神社の石柱。


同じく1月に泉北和泉中央駅からJR阪和線信太山駅まで歩いた、泉北くるりんウォーキング、信太山コース。

公園名を表示している。


橋の欄干の親柱にも石が使われていることが多い。川の名称を表記してある。


お寺の表記。曹洞宗蔭涼寺。


遺跡跡を表す石碑。惣の池遺跡。


聖神社。


聖神社への参道を表している。電柱と並んでいるコントラストがなにげに良い。


こうして見てみると、石でできた造作物は非常に多い。ちょっとウォーキングをしたら、何かしらに出会う。

岸和田に行ったとき。
これは道標。右、和~山道とあるが、~が判別しない。方角的には和歌山かも?


橋の欄干の親柱。


きしわだ自然資料館の表記。


道標。比較的新しい。


岸和田市道路元標。道路元標は文字通り、道路の起終点を示す標識。意外と道路元標マニアは多いようだ。ネットで調べると、ブログでテーマにしているサイトによく出会う。


紀州街道本町一里塚跡。一里塚とは、江戸時代初期に五街道が整備された時、1里(約4キロメートル)ごとに街道の両側に土を盛って里程をはかる目印にしたもの。


岸和田城庭園を表記した石柱。当然、新しい。


大阪みどりの百選。仁徳天皇陵の向かいの大仙公園にもあった。


と言うことでラストは岸和田城。
城壁にはたくさんの市が使われている。

石は石でも・・・ちょっと違ったかな!?


世の中、メジャーではなくマイナー、ポピュラーよりマニアックな世界がやっぱり楽しい!

ちなみに、今日は誕生日でした😃


2021年3月2日火曜日

再び守口から・・・②

 2021年2月27日(土) 晴れ

城北川(旧城北運河)、流れはほとんどない。ここで一つ見逃してしまったのが、「大阪国技館跡」。昭和12年(1937年)竣工の鉄筋コンクリート4階建ドーム式で、収容人員2万5千人の国内屈指の屋内スポーツ施設であったらしい。大国技館北側には相撲茶屋が建ち並んでそうだ。

川沿いに南下する。見えてきたのは、日新製糖の艀(はしけ)。

日新製糖は、精製糖、氷砂糖、液糖の製造販売等を業種とする会社で、昭和19年(1944年)の設立。昭和27年(1952年)に今福工場を建設、地の利を活かしてCO2排出量の少ない、艀(はしけ)輸送を50年以上続けているそうだ。




前回、この辺りは海抜が低いという話をしたが、川沿いにはこんな看板が掛けてある。南海沖地震が今起きたらどうしよう、などと考えながら歩き続ける。



突き当たったところが寝屋川との合流点。大きなクレーンを台船にのせて工事をしている。なかなかの景色です。



まだまだ南下。川沿いには早咲きの桜か!?




水門が見えてきたが、ここで西に向かう。



八剱神社。応永3年(1396年)の創祀と伝えられ、八劔大明神・武速須佐雄大神(たけはやすさのおのおおかみ)・罔象女大神(みづはのめのおおかみ)を祭神としている。ここは、災難除けの神様。

災難からは逃げたいものだ。




お参りした後、境内を通り抜けると、鴫野今福古戦場跡。

大坂冬の陣では、この付近一帯が主戦場となった。当時は、旧大和川の支流が分流していて、湿地帯や水田が多かったはず。戦場に向き不向きもないだろうが、大変な戦いであったろう。小学校の校庭内に石碑が建っている。



柵の間にiphoneを差し入れて、・・・こんな感じ。


第1寝屋川を渡る。遠くに大阪城ホールが望める。


白山神社。「白山神社」は縁切りや縁結び、和の神様。その理由は菊理媛神(くくりひめのかみ)という神様に由来していると。


最後のポイントは、砲兵工廠跡地(の碑)。
大阪城公園、大阪ビジネスパーク、UR森之宮団地一帯は、戦時中まで大阪陸軍造兵廠で巨大な兵器工場が建ち並んでいたが、終戦前日の昭和20年(1945年)8月14日の空襲で、完全に破壊された。
UR森之宮団地の一角に石碑が建っている。


この後森ノ宮駅から帰途につくが、その途中にこんなものが。



究極のエコカー、水素自動車の水素供給スタンド。電気自動車がエコカーと言われているが、もとになる電気を発電するのにCO2の排出はまだ多い。なんだかなあ~。

paypayの30%付与につられて、2回も守口市を起点にウォーキングをしてしまった。いよいよ3月。緊急事態宣言も解除されるので、次は奈良にでも行ってみるか。


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