本来ならどこかへ出かけているところだが、とりあえず休養日。
道標・・・道路の辻、街道の分岐点に立てられた交通標識で、自動車交通が発展する以前に造られたものが多く、江戸時代のものがとくに多いらしい。
石碑となると、道標に関わらず、かつての~跡や、昔の状態を表して記念碑としているものもある。
こんなものに興味を示す人は多くはなかろう。調べているうちに「大阪の街道と道標」(武藤善一郎)と言う本があったが絶版になっており、再販の予定もなさそうだ。となれば読んでみたい。図書館にはあるかもしれないので、時間が出来たら調べてみるか。
毎年1月に、開運松原六社参りに行っている。最初に訪れた紫垣神社の石碑。
おっと、これは石碑ではないがこの道がかつて中高野街道であったことを示すもの。
松原の六社の一つ、阿麻美許曽神社の石柱。
所々にこの石碑がある。「開運松原六社参り」。
いつも最後にお参りする布忍神社の石柱。
公園名を表示している。
橋の欄干の親柱にも石が使われていることが多い。川の名称を表記してある。
お寺の表記。曹洞宗蔭涼寺。
遺跡跡を表す石碑。惣の池遺跡。
聖神社。
聖神社への参道を表している。電柱と並んでいるコントラストがなにげに良い。
こうして見てみると、石でできた造作物は非常に多い。ちょっとウォーキングをしたら、何かしらに出会う。
岸和田に行ったとき。
これは道標。右、和~山道とあるが、~が判別しない。方角的には和歌山かも?
橋の欄干の親柱。
きしわだ自然資料館の表記。
道標。比較的新しい。
岸和田市道路元標。道路元標は文字通り、道路の起終点を示す標識。意外と道路元標マニアは多いようだ。ネットで調べると、ブログでテーマにしているサイトによく出会う。
紀州街道本町一里塚跡。一里塚とは、江戸時代初期に五街道が整備された時、1里(約4キロメートル)ごとに街道の両側に土を盛って里程をはかる目印にしたもの。
岸和田城庭園を表記した石柱。当然、新しい。
大阪みどりの百選。仁徳天皇陵の向かいの大仙公園にもあった。
と言うことでラストは岸和田城。
城壁にはたくさんの市が使われている。
石は石でも・・・ちょっと違ったかな!?
世の中、メジャーではなくマイナー、ポピュラーよりマニアックな世界がやっぱり楽しい!
ちなみに、今日は誕生日でした😃
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