2020年2月25日火曜日

竹内街道(金岡神社から古市まで)②

2020年2月25日(火) 曇り

まずは前回ポイントの新金岡に向かう。地下鉄メトロ各駅のトイレの表示は「ようおこし」となっている。よく見るとお辞儀をしているようだ。


余談はさておき、改札を出ると南北に地下道が伸びている。こんなに長い地下道が要るのだろうか?


前置きが長すぎるか!?

最初に向かったのは「金岡神社」。金岡神社は難波宮から真っすぐに南へ伸びる難波大道が、竹内街道に繋がったと言われる地点だ。仁和年間(885年 - 889年)に創建されたと伝えられている。絵所長者という役所で最も重きをなした平安前期の宮廷画家巨勢金岡を祭る神社で、御所や貴族の家、有名なお寺に絵を描いたことは分かっているが金岡の描いた絵は一つも残っていないそうだ。




境内には楠木が・・・。ネットで調べると、どれも青々と茂っているが冬ともなればこんな感じになるのかな。


金岡神社の前の交差点、南西の角には「歴史のみち」の案内板が立っていた。反対側には石標が。



ここからの竹内街道はレンガ風の石畳で綺麗に舗装してある。


また、石標も所々にあってわかり易い。ただずっととはいかなくて、途中から国道になり交通量も多くなってくる。MAPにも「交通量多し、大泉緑地を通るルートあり」と書いてくれているので、そちらのルートを取ることにした。

大泉緑地



緑地内にはBBQが出来るエリアが設定されていて、「GoodBBQ」と言うのが3月からOPENするようだ。新型コロナの影響が早く終息するといいね。



緑地内の頭泉池を横に見て緑地を抜ける。
「頭泉池」・・・なんて読むでしょうか?


頭泉池(かしらいずみいけ)でした。

この先は田んぼ道を通り、快調に歩く。別ルートなので、Googlemapを活用していると、かなり細い道でも案内してくれる。


ともあれ辿り着いたのは、王仁の聖堂址。


応神天皇の頃(4世紀末)、百済(現朝鮮半島南部)から来て日本に漢字を伝えた渡来人・王仁が、論語20巻と千字文1巻を献上し、この地に聖堂を立てて学問を広めたという伝承がある。今は、弁財天が祀られている。


柵がしてあったので、隙間から撮ってみた。


そろそろ街道に戻らないと。
でも、ちょうどお昼となったので、昼食、昼食♪
後半は次回に!

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