2021年6月11日 晴れ時々曇り
逆巻地蔵尊。
淀川の近くを歩いているが、ここから少し下流に豊里大橋がある。そのあたりは淀川でも水流の激しいところで、船は帆を逆に巻かねば転覆するほどといわれ、多くの犠牲者も出ていたという。
数多くの犠牲者の慰霊と船便の安全守護を祈願して、阪巻村(現在は淀川の川底)に逆巻地蔵が建てられた。それが観仏寺を経由して、大正12年にこの地に移転された。
お地蔵さんの横には遭難者の慰霊碑が。
ここからは迷うことなく歩けそうだ。途中、昼食のパンを調達して、次の瑞光寺に向かうが、左手に大阪経済大学が見えてきた。立派な大学だが、最近はどこの大学もコロナのせいで閑散としている。
瑞光寺公園の日陰になったベンチで昼食をとる。最近は公園でもどこでも昼食が取れるようになった。ちょっと見には怪しいオヤジに見えているかもね。
こんなところに大隅神社御旅所(おおすみじんじゃおたびしょ)の石柱が・・・。謂れはわからない。
さて、瑞光寺。聖徳太子が創建したと伝えられている。
鯨橋。
由緒によると、宝暦4年(1754)この寺の潭住(たんじゅう)禅師が南紀太地(たいじ)浦に行脚したとき、不漁に泣く村長覚右衛門らの豊漁祈願の依頼をうけて祈願したところ漁獲が多くなった。村人からそのお礼として譲り受けた鯨骨をもって橋をつくったという。
阪急上新庄駅。
上新庄駅の西側にある春日神社。
由緒によれば、往時、榊の大木があって神木と称して崇敬していた。その後、神木が朽腐したので一社を建立して稲倉魂神を勧請し、榊神社と名づけた。天正六年(1578)奈良春日神社の分霊を勧請し、春日神社を本社として榊神社を摂社とした。
下新庄公園にあったモニュメント。「平和と繁栄」と刻まれている。
このあと、今度はJR淡路駅を横切って、
東淡路商店街へ。これで、しばらくは日陰を歩ける・・・。
スタートしてから、この辺でようやく6㎞を過ぎたあたり。足裏は痛いが、なんとかゴールまで持ちそうだ。がんばれ、がんばれ!
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