2021年6月6日(日)曇りのち晴れ
今回は、水都大阪の”渡し”巡りをしている。
そもそも大阪は豊臣秀吉の大阪城築城以降に城下町が発展し、特に上町台地の西側(海に近いほど)は江戸幕府になってからどんどん埋め立てられた。河川や運河などの水路が縦横に走っており、また河川舟運が盛んで架橋が困難だったため、公営の渡船が多数運航されてきた。架橋進展に伴いその多くが廃止されたが、現在でも8航路運航されている。
落合下渡船場。
今度は西成区から再び大正区に渡る。
船の大きさは、落合上渡船場と同じくらい。大阪市によると令和元年度現在、落合上渡船場で1日平均445人が利用、こちらは平均356人が利用しているとあり、毎年10月下旬から翌年4月下旬にかけては、数百羽のユリカモメが飛来するそうだが、その季節は過ぎてしまった。
大正区に渡ってからはひたすら南下。突き当りに見えてきたのは、千本松大橋。
両端部の2階式螺旋状坂路(720度ループ)を含めて道路長は1228mあり、橋の形状をメガネに見立てることから、地元ではめがね橋の愛称で呼ばれる。
ここにも渡船がある。
千本松の名称は、江戸時代にこの地の木津川堤防に沿って多くの松が植えられていたことに由来している。お決まりの名前だね。
ここ千本松渡船で渡らずに、西へ向かう。ここで渡って、西に向かい、木津川渡船で戻ってくるルートもあるが、時間と足裏の痛みの都合でショートカット。
大運橋を渡り、
鶴町南公園前を折れて、大正通りを北上する。
約1㎞程歩くと見えてくるのが、2003年に開通した千歳橋。主橋梁部はアーチ橋とトラス橋が融合した2径間連続非対称ブレースドリブアーチ橋というものらしい。
この橋、歩きでも自転車でも通行できるようになってるが、海面からの高さが28メートルあり、歩行者や自転車の利用には不便なことから、渡船は橋開通後も存続されている。
それがこの千歳渡船場。
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