2021年8月6日(月) 晴れ
ようやく暑さも和らいできた。最高気温が30℃くらいなら、ぜいたくは言えまい。
さて、今回はまたもやメトロの過去ウォーキングの中から、「桃ケ池から長居植物園をめぐる」。実は表題の前に、【関西文化の日】というのがついている。2018年の関西文化の日に開催されたウォーキングのようだ。
関西文化の日は、文化に親しむために設定された日で、近畿2府4県以外にも三重県、福井県、徳島県、鳥取県を含めた地域で、文化施設(原則として常設展示)を入館無料で開放している。2018年は、11月17日(土)~18日(日)の2日間を中心日としていたようだ。長居植物園や大阪市立自然史博物館なども無料開放していたのかもしれない。
スタートは、メトロ谷町線の文の里駅。改札を出ると地下通路が伸びている。
地上に上がって、とりあえずパチリ。
目の前には文の里商店街。
しばらく阪神高速14号松原線沿いに南下する。影を選んで歩くことに。
今日のサブテーマは、ルーツをたどるウォーキング。母方の実家が東住吉の田辺本町にあった。小学生の頃は夏休みになれば一人で遊びに来たものだ。居心地が良かったのかも知れない。夏なので山阪神社の夏祭りに出かけたのを覚えている。また、長居のプールにも行った記憶がある。そのあたりを辿ることになる。
その前に、桃ケ池。公園になっていて、ハナモモやサクラの名所として知られている。
昔はボートも浮かんでいたような記憶があるんだが・・・。
「桃ヶ池に棲んでいた大蛇を聖徳太子が退治した」という伝説がある。その際、股ヶ池浮島に穴を掘り大蛇の死体を埋葬したが、その後も怪異が続くというので霊を沈めるため「おろち塚」が作られ、昭和初期まで残っていたらしい。(ウィキペディアより)
池周辺は古代より集落であったと考えられ、阪和線の高架工事の際に弥生時代の遺跡が発掘されたり、近隣のマンション工事の際に弥生遺跡が出たことがある。
近辺は田辺古墳群といい、古文献にはこのあたりに古墳が多くあるとの記述もあり、事実近隣の山坂神社も古墳であることが近年分かってきた。そのような古い土地柄のため、旧石器時代から江戸時代まで、近隣でさまざまな時代の遺構が出ている。
(これもウィキペディア)
興味深い限りだ。山阪神社には後ほど参る。
ハスが群生していた。
遠くに臨むのは、あべのハルカス。
少し歩くと、神馬塚(しんめづか)。
神馬(神事をつかさどる馬)の遺骨(たてがみ)が祀られている。
すぐ横にある、「うどんやかぜ一夜本舗」
風邪をひいて食欲がない時など、お粥やうどんを食べたくなる。食べて、ぐっすり眠れたらたいがいは回復する(と思っている・・・インフルエンザでもない限り)。
昔と言っても明治のころ、今のように薬も豊富にない時代、まさにそれが実践されていた。風邪薬がうどん屋で売られていたのだ。
ここはそのころからの老舗だそうだ。
この後、ルーツをたどるべく田辺本町を歩いてみたが、何十年と来ていないので街の様子が変わってしまっている。
小学生当時は天王寺から南海平野線(1車両のいわゆるチンチン電車)で田辺まで行った。田辺の駅から歩いて10分ほどだったか、田辺小学校の横を抜けて歩いた記憶がある。
この平野線は昭和五十五年十一月に廃止となっていて、代わりに大阪メトロの谷町線が下を走っている。この谷町線、天王寺ー八尾南間の開業が同じく昭和55年11月なので、まさに入れ替わったことになる。
谷町線を使って来たことがなく、南海平野線の田辺駅とは位置も変わっているだろうし、街の景色も変わっているとなれば、さっぱりわからない。おおよその見当は付けてみたが、実はもう実家もないので、ルーツ探訪はこれくらいにして、経路に戻ることにした。
模擬原子爆弾投下跡地。
模擬原爆というのは長崎に落とされたプルトニウム原爆(ファットマン)と同じ型、大きさ、重さで、中身がTNT火薬の約5トンの爆弾で、日本各地への空襲に紛れて49発も投下ている。
田辺に投下されたのは、もともとは田辺小学校の北側であったが、マンション建設にともない、この恩楽寺に移設されたようだ。
恩楽寺。
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