2021年9月22日水曜日

京街道ふたたび・・・(高麗橋から守口まで)①

2021年9月21日(火)晴れ時々曇り
3年前に京街道を歩いている。→ 京街道を歩く①
と言っても、街道を制覇したわけでもなく、大阪府の「歴史街道ウォーキングマップ」をガイドに、本来なら大阪市中央区から守口市のルートを、途中で切り上げて大阪メトロの千林大宮駅から帰宅していた。

それっきりで京街道には行っていない。

今回は大阪から京都の八幡市まで行って、そこから東高野街道に切り替えて南下、河内長野市あたりまで歩いてみたい。途中、我が家の横を通過することになる。

心機一転でもないが、スタートはもう一度大阪市中央区の高麗橋からとした。今回はひとまず守口市まで行ってみる。

大阪メトロの北浜駅から東に向かうが、まずは東横堀川にかかる「今橋」(いまばし)。
これは、現在の橋の下にある旧の欄干。


今橋は豊臣時代には既に存在したらしい。
 江戸時代には、橋の西側に平野屋五兵衛、天王寺屋五兵衛など大物両替商が軒を並べ、大阪の金融の中心地であったと解説されている。

水の都、大阪♪


東横堀川は、ここから南へ流れ、途中西へ向きを変えてから下流は道頓堀川となる。


今橋の次にあるのが高麗橋。
このあたり、以前「中央区橋から橋まで総めぐり」であるいたところ。


高麗橋の東詰めにある里程元標跡。
江戸時代の里程計算の起点となった地点で、ここが京街道・紀州街道など諸国への道のり、車馬賃の基点となったそうだ。
江戸時代はね!・・・このあと出てくる京街道の石標は、なぜか「京橋口」からの距離になっているのが興味深い。


高麗橋の由緒。東横堀川は大阪城築城の際に外堀として改修され、その当時に高麗橋がかけられたらしい。何度か付け替えられて、現在の橋は鉄筋コンクリートアーチ製で、昭和4年にかけられたとある。
このあたり何度か来ている。



少し北に歩くと、土佐堀川に出る。
天神橋。




さらに上流側へ歩くと、渡辺津。熊野への出発点で、熊野街道の始まり。平安時代後期に白川上皇などが京から船でこの浜に着き、熊野詣の旅をスタートした。
江戸時代からは八軒家浜と呼ばれる。


この土佐堀川を上流へ行けば京都に行き着く。


いずれ熊野街道も歩いてみたいが、とても熊野古道までは遠いかなあ。
せめて和歌山の手前までは行ってみたい・・・。
こんな石標が整備されている。


これも以前訪れているが、八軒家浜船着場跡の碑。
八軒家浜とは江戸時代、8軒の宿があったことから八軒家浜と呼ばれていた。京都との間、淀川を行き来した三十石船の船着場として栄えた。
昆布店の軒先にあって、八軒家浜船着場の謂れなどを記した小冊子も置かれている。以前に頂いているので、今回は遠慮した。


京阪電車天満橋駅を過ぎ、この辺りはまだ東の方向に歩く。


寝屋川にかかる、文字通り寝屋川橋。
これを渡って左に行けば、先日歩いた大川沿いにあたる。
今日はこのまま真っすぐに歩いて京橋に行き、そこから方向を北寄りに変えて京都を目指す。


京阪電車が左側に見える。


ちょうど右手には大阪城が。


あと少しで京橋に至るが、3年前とは言え2回目なので迷うことはない。
ここまではすこぶる快調です👍






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