2021年9月21日(火)晴れ時々曇り
関目神社を後にして、しばらくは石標をめぐるウォーキングとなる。あちこちに点在している。
「京街道」とあるものや、「京かいどう」と表記しているもの、様々な石標があるが、いずれも京橋口からの距離表示になっている。
京橋口は大阪城の北西の出入口にあたる。
京街道自体は奈良時代より存在する古道であるが、豊臣秀吉が淀川左岸に「文禄堤」として街道を整備し、後に京街道と名を変えているので、距離表示も京橋口を起点にしているのであろう。
森小路に近づくとこんな旗(?)がぶら下がっている。
実は、3年前から変わっていない。→ 京街道を歩く①
森小路商店街が京街道とタイアップして、森小路京かいどう商店街と銘打っている。
前回ギブアップした地点、千林商店街までやってきた。前回はこの辺で足裏の痛みでもあったのか?、単に疲れたのか?
そう考えると、ウォーキングを続けてきたおかげか、歩ける距離は伸びているのかもしれない。
商店街の喫茶店の横にある石標。いつも自転車が止めてあるらしく、注意しないと見逃しそうだ。前回の画像はなぜか焦点がぼけていた。今回は、Good!!
歩道にも京街道の石碑が張り付けてある。京街道を盛り上げることで集客につなげたいのだろうね。
石標はこの辺にしよう。
いよいよ守口に近づいた。目印になるNTTを背にして京街道を行く。
文禄堤に到達したようだ。この高低差。
かなり大掛かりな堤であったと伺える。この堤の上が京街道になっている。ここだけ見れば、何のことはない普通の道にしか見えないが・・・。
案内があった。
本町橋。
本町橋の上からは、京阪電車守口市駅が望める。電車の走行面と同じ高さなのだから、堤の高さがわかろうというもの。
案内板があった。これによると、京都へ向かう時が京街道で、大坂へ向かう時は大阪街道と呼んだとある。確かに一理あるが、大阪街道なんて名称は知らなかった。
東海道57次、57番目の宿場(守口宿)として整備されたとあるので、往時は賑やかであったろう。今は、閑静な住宅が軒を連ねる。
文禄堤薩摩英国館。この時はよくある紅茶専門店くらいに思って通り過ぎたが、薩摩と英国の歴史を紹介していたり、この中には貸しギャラリーもあるようだ。英国で日本人初の金賞を受賞したという自家製の紅茶“夢ふうき”が有名らしい。
下調べをしていたら、入っていたと思うが、堤に気を取られて行き過ぎてしまった。
昔の街道筋の雰囲気が味わえるいい建物も。
最後に文禄堤の説明書き。イラストを交えて昔と現在を表している。
ここで約11km。まだまだ歩けるが、ここで区切りとした。
次は守口から枚方市までの10kmほどのウォーキング。
京街道を楽しみたい。
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