2021年10月11日月曜日

京街道を歩く・・・(枚方から樟葉まで)①

 2021年10月8日(金) 晴れ時々曇り

前回の枚方公園駅からスタート。

今日も暑くなりそうだ。


駅前には歴史街道枚方宿の石碑と、枚方宿案内図が掲げてあった。ここは東海道品川宿から数えて56番目の宿場町で、豊臣秀吉築造の文禄堤を利用して、近世初めに京街道として整備された。

市としても街道、宿場町としての歴史的な価値を高める努力をしておられるのがよくわかる。案内図の右下にはお世話になっている「歴史街道」のロゴが。


駅前のコンビニで食料を調達してから街道を歩きだす。道案内にも石碑をうまく活用していて分かりやすい。ひとまず本陣跡に向かう。



松風山浄念寺。



枚方は浄土真宗とゆかりの深いところだったとある。


さて、一つ寄りたいところがあったので街道を逸れて淀川のほうへ向かう。

淀川資料館。
これまで淀川沿いを歩いてきたのだから、しっかり見ておこう。


入り口はドアがロックされているが、開館はしている。ドア横のインターホンを押して、「見学できますか」と問いかけると「ごゆっくり、どうぞ」の返事とともに遠隔操作でロックが解除。

平日と言うこともあり、館内には私一人。


淀川の歴史は、洪水と改修の繰り返しであったのが良く分かる。



入り口横にあった「くらわんか舟」。
・・・雑草は抜いておいて欲しいけど。


街道に戻って、趣のある民家を横目に見ながら街道を進む。


これは何だろう?
民家の玄関わきにちょこんと座っている人形(?)。
民話に出てくる妖怪のような・・・。
違ったら、ごめんなさい。


このあたり、石碑のオンパレード。


枚方宿本陣跡。
本陣とは、江戸時代以降の宿場で、身分が高い者が泊まった建物のこと。
案内板によると、215坪ほどの建物があったようで、紀州藩の大名行列も宿泊したようだ。
今でいう、帝国ホテル?
ちょっと違うか。



本陣説明版の下には、北河内郡役所正面口の説明がある。
北河内郡とは明治29年に行政区画として発足した郡域で、守口市・枚方市・寝屋川市・大東市・門真市・四條畷市・交野市および大阪市鶴見区の大部分が含まれていたという。かなりの広さだ。

私の住む東大阪市は、小さいころから中河内と呼ばれていた。中学生のスポーツ大会では、中河内地区の大会という言い方をした。


ここからすぐのところに、妙見宮常夜灯石燈籠。
石灯籠には嘉永七年(1854)の日付が刻まれている。
嘉永七年(1854)は開国の年で、京都・大阪間の往来も増え、社会不安が高まる中、天下泰平と枚方宿内の安全を祈願したものらしいと書かれていた。



風情のある建物を見ながら快調に歩く。


快調と言いながら、実はちょっと疲れている。
ここ枚方宿は京街道が整備され案内板も多いが、ここを外れると単なる道歩きになる。
先を思うと疲れてきた。
今日は、ほどほどにして帰ろうか?

マップでは枚方公園から、京阪の橋本駅までを区切りとしているが、その手前樟葉で区切るのも良いかも。で、最終回は樟葉から石清水八幡宮までの短めの距離にして、八幡宮周辺を散策するのも良いのでは?

弱気になると、だいたいその日の距離は短くなる。

でも、まあ、気ままに行こう!!!

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